- 作者: ジェイムズ・ジェイムズ・ジョイス,ジェイムズ・ジョイス,高松雄一
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1999/06/16
- メディア: 単行本
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アンチ伝統回帰
『ジェイムズ・ジョイス』(桶谷秀昭著)によれば、ジョイスはゲール語やアイルランド文化復興のナショナリズム運動に参加せず、それらに知的な限界を感じていた。
ジョイスは若い頃、アイルランドの土俗や土着の民間伝承に文学的根源を求めたW・B・イェーツら文芸復興運動派を激しく罵倒していた。
これは『死者たち』のなかで、ゲイブリエルとミス・アイヴァーズの対立にあらわれている。
ゲイブリエルは、芸術は自律性を持つべきで、芸術は政治に無関心であるべきだと言いたいのだが、そのような弁解が気取りにすぎないことを知っていて、ただ自分の国には飽き飽きなんだという。
アイルランド文化復興のために死んでいった「革命者たちは彼らの夢とひきかえに生命を払わされ、にがい民衆への自覚を抱いて死んでいった」。
ジョイスは「くり返された死者の歴史の負債を背負わずに、あいもかわらぬ夢想にふけっている文学者たちの運動」とは一線を画そうとしていたのだと桶谷は解釈している。
モダニスト
モダニストのジョイスが亡命者となったのは、ノーラと恋に落ちたが、結婚制度とカソリック教会の権威を否定していたからだ。
さらに。アイルランド文化への愛憎関係もあった。ジョイスは友人への手紙のなかで「僕はこの短編集を『ダブリン市民』と呼ぶ。
それは多くの人々が都市だと考えている半身不随で麻痺している精神の状態を示すためだ」と言っている。
そうして「精神と道徳とが麻痺した状態」にあるダブリンの現状をありのままに描出するのが、ジョイスの創作の意図となり、『ダブリン市民』に入る短編を外国のトリエステの地で書いた。
ダブリンを突き放して書くためには、ある程度はなれた距離にいる必要があったのだろう。
『言葉の芸術家ジェイムズ・ジョイズ』(米本義孝著)によれば、ジョイスは十四篇を書き終えたところで、祖国や家族に対してあまりに手厳しいので後味の悪さを覚えた。
そこで「ほのかな光を導きいれる物語として付け加えた」のが「死者たち」であった。
他の十四編のような「民族性と地域性の色濃いリアリズム文学の域を超えて、象徴性の強い詩的な文学になるようにこころがけた」のである。
エピファニー体験
ゲイブリエルは大学の語学講師という設定である。
彼の性格は友人のコンスタンティン・カランから取られ、スピーチの雰囲気はジョイスの父親に似ており、その他の職業の特徴などはジョイス自身を思わせる。
ゲイブリエルはいくつかのエピファニー体験を経て、彼がヨーロッパへの志向の強いところから、アイルランドへの否定的な態度を改めて、その目を祖国に向けなおす物語になっている。
『ザ・デッド/ダブリン市民より』のラストでは、アイルランド西方へ眼が向けられる
叔母たちの「歓待の精神」を褒めたたえるスピーチの内容と、ラストでアイルランドの「西の旅に出かけるときがきた」とゲイブリエルに言わせているところがそうである。
また、ジョイスにおいてエピファニーとは宗教的な顕現ではなく、何でもない日常の出来事によってもたらされる精神的な開示であり、真の自己があらわれる瞬間のことをさしている。
ジョイスは携帯していたノートに、日ごろからエピファニーを書きとめて創作に使っていた。
女難とエピファニー
「死者たち」では、ゲイブリエルは女難続きである。
最初にリリーに「もうすぐ結婚かい?」と訊ねて、「最近の男の人は口先ばっかり」と言い返されて赤くなる。
二つ目は、ミス・アイヴァーズと踊っているとき、保守派の新聞に書評を書いたことを責められて赤くなり、民族主義者の彼女に国内を旅しないさいといわれる。
書評を書いたのはジョイス自身がモデルになっている。
三つ目は、妻のグレタ・コンロイがバーテル・ダーシーの歌う「オーグリムの乙女」を聞いて、昔死んだマイケル・フューリーの思い出が突然よみがえるところ。
『ザ・デッド』で妻がマイケル・フューリーのことを告白する場景
四つ目は、ゲイブリエルが妻からゴールウェイで恋したマイケルという少年のことを聞かされ、「額に燃えている屈辱のしるし」を見られないようにするところ。
彼はグレタが語ったような深淵な愛を、自分は経験したことがないのではと訝りはじめるのだ。
現実生活では、妻のノーラがジョイスに最初に惹かれたのは、フューリーのモデルのマイケル・ボドキンに似ていたからだとノーラの妹がいっている。
三つ目と四つ目がそれぞれ、ゲイブリエルとグレタのエピファニーになっている。