- 作者: 芥川龍之介
- 出版社/メーカー: 舵社
- 発売日: 2005/08/10
- メディア: 文庫
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或旧友へ送る手記
「或阿呆の一生」に書かれたことはほぼ事実だろうが、大いに装飾を施され、彼の韜晦癖から隠された部分もあるに違いない。
遺書の「或旧友へ送る手記」は「或阿呆の一生」に芥川が書くまいとした、二つの自殺の要因「封建時代の影」と「金銭」の問題に触れている。
姉の夫が自殺して借金を残し、その処理のために家長としての芥川龍之介は奔走し、それで神経衰弱がよりひどくなったというのだ。
金銭について
師の夏目漱石も小説に「金銭」のことが多く出てくる作家だったが、「或阿呆の一生」にも生活力と金銭の問題がふっと浮上してくる箇所がいくつもある。
九節「一人前三十銭のビイフ・ステエク」。
十四節、結婚した翌日に「来てそうそう無駄遣いをしては困る」と妻にいう言葉。
三十六節、大学生(堀辰雄がモデルといわれる)との生活欲と制作欲に関して食い違う会話の内容。
四十六節、「精神的破綻」ではなく「精神的破算」や「生活的宦官」という独特の言葉による表現。
芥川は「或旧友へ送る手記」において、自分が遺産として百坪の土地、家、著作権、貯金二千円しか家族に残せないことを嘆じている。
芥川龍之介の晩年は、幻覚を見てそれを小説に書くほど精神が衰弱していたが、フィクションを構築し、何を書いて何を秘めるかくらいのコントロールは無論できていた。
もしかしたら、彼が自伝的フィクションに書いた「キャラクターとしての芥川」が、書く行為のなかで本人よりも先に「自殺」という結論に到達したのではないか。
生身の肉体を持つ芥川本人は、その後を追っただけなのかもしれない。
そういう意味では、芥川の人生最後のほのめかし「或阿呆の一生」は告白文などではなく、立派に虚構の小説だったと考えられるのではないか。