シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

死者たち ①

johnfante2008-10-23

Dubliners (Twentieth-Century Classics)

Dubliners (Twentieth-Century Classics)


右写真は、若き日のジェイムズ・ジョイス

ドゥブリナーズ


ジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』の原題「Dubliners」は、ダブリナーズではなく「ドゥブリナーズ」と発音する方が正しいのかもしれない。


『ダブリン市民』に収録された「死者たち」の冒頭部分はみごとである。
管理人の娘リリーが、叔母たちのカトリック的な1月6日の御公現の祝日(epiphany)のパーティに来たゲイブリエルを出迎えて、「また雪ですの、ミスタ・コンロイ」と訊きながら外套を脱がせる。
そのとき、ゲイブリエルは「彼女がコンロイという姓を三つの音節にくぎって発音」したので微笑みを浮かべる。
ペンギン・ブックス版のテレンス・ブラウンの注によると、リリーが「Con-er-roy」というダブリン訛りで言ったので、ゲイブリエルは少し上に立ったような態度を見せたのだという。


ケルト文化との距離


このことからもわかるが、視点人物であるゲイブリエルはヨーロッパ文化を好み、十九世紀末から盛んだったゲール語ケルト文化復興の意識からは距離を置いている。
この些細な描写のなかに、「死者たち」のテーマの一つであるアイルランド文化との関係性が既にさりげなく提出されている。
ゲイブリエルの特徴は、多分にジェイムズ・ジョイス自身の特徴を反映しているふしがある。
「死者たち」を書き上げた頃のジョイスは、ダブリンから妻のノラと駆け落ちをした後、トリエステでベルリッツの英語講師をしたり、ローマで銀行員をしたり不安定な放浪生活をしていた。



アイルランド文化に距離を置きつつも、独立には賛成するという不安定なゲイブリエルの姿勢は、冒頭でリリーとの対話で提示される。
そして、後ほどミス・イーヴァーズに「西のブリトン人」(親英派。Britonはケルト民族。Britはイギリス人でからかい気味に使う)と手ひどく文句をつけられる。
彼女はゲイブリエルが保守派の新聞に書評を書き、アラン島(シングの小説の舞台)やゴールウェイなどケルトの古い文化が残る土地に旅に出ず、ヨーロッパばかり旅しているのが気に食わないと攻撃する。
そして、前半のクライマックスであるゲイブリエルの演説にいたるまで、アイルランド文化との関係は通奏低音として流れ続ける。


女難の夜


この夜は、ゲイブリエルにとって女難の日となる。リリーに親しげに口を訊くと、「この頃の男の人は口先ばっかり。人を利用するだけ利用しておいて」と辛辣に返される。
リリー(Lily)は英語で百合の花のことだが、これは象徴的に大天使ガブリエル(ゲイブリエル)のイメージと結びついている。
前出のテレンス・ブラウンによれば、キリスト生誕の受胎告知の場面を描いた絵画では、そこに現れるガブリエルは必ず百合の花を持っている。
また百合の花は聖母マリアの象徴であると同時に、処女性を表している。ルネッサンス絵画では、花瓶に活けられた百合の花が純潔さを表すことが多い。



「死者たち」を映画化した『ザ・デッド』(ジョン・ヒューストン監督)の予告編


お祝いのご馳走の前に、ゲイブリエルを迎えるのがリリーというところに、さまざまな解釈による憶測を浮かべることができる。
ジョイスが登場人物に名前をつけるときには、細心の注意が払われている可能性がある。
小説の字面だけではなく、神話や伝説のメタレベルでの言及を考えなくてはならない。


神がイエス・キリストとなってこの世に現れることを「肉体化」とか「顕現」というが、このリインカーネーション(Reincarnation)を仲立ちするのは大天使ガブリエルである。
「死者たち」の舞台になっている御公現の祝日は、英語ではepiphanyといい、「本質についての突然のひらめき」という意味もある。
ギリシャ語では「出現」や「開示」という意味である。
これはむろん、「死者たち」の最後の部分で、妻が《オーグリムの乙女》の歌によって死者のことを思い出す、エピファニー体験とつながっている。
「死者たち」の冒頭でリリーという家政婦と、ゲイブリエルという主人公が交錯するシーンだけでも、これだけのものが込められてることは驚きである。