愛国者の座標軸
愛国者の座標軸
著者が書いた「あとがき」によると、「間違いなく私の代表作になるだろう」とのことだ。
それでこれを読もうと思っていたのだが、先日編集者のI君と話していたところ、彼が担当した本だったと聞いて驚いた。
労作である。
「鈴木邦男をぶっとばせ!」というホームページがあるのだが、そこに著者は毎週文章を書いている。
その8年分の文章を選りすぐり、1本ずつコメントをつけて、さらに註を付して一冊にまとめたのが本書である。
感想からいうと、鈴木邦男という人は「差異の書き手」だと思った。
本人は自嘲気味に、右翼からも左翼からも違和感を持たれていると自認しているようだが。
右ならばこうあるべき、左ならばこうあるべき、といった既成概念を自在にずらしていき、そこに出来た空間で思考することを促していく人なのだ。
君が代問題
たとえば、君が代斉唱の教育現場での強制の問題がある。
右翼ならば賛成しそうなところだが、著者は君が代は難しくて誰もちゃんと歌えない、そういう意味ではみんな非国民だという。
全員が起立して、口をそろえて歌う統一美に「愛国心」はないのだともいう。
あるいは、著者の手にかかったら、テロリストと考えられている日本赤軍も、アラブ世界では「サムライ」や「カミカゼ」として評判がいい人たちとなる。
リベラル過ぎる言動で右側からも揶揄されることの多い著者だが、本書を読んでみるとイメージが変わることであろう。
多くの人が固定化してしまっている思想的タームに、意外ともいえる側面を発見することによって、もう一度、そのことについて考えるための契機を作ろうとする。
思考をするためのスペースを作ろうとする。思考するように挑発する。
それが、鈴木邦男が政治思想に導入しようとしている、差異化の思考なのである。
左右といった分け方と関係なく、戦中に生まれた著者に、戦争や暴力を体験してきた世代に特有の「良識」のようなものを感じるのは、私だけではないだろう。