シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

スタンフォード監獄実験

johnfante2006-05-15

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映画『es(エス)』は本当にあった話である


 1971年8月14日から1971年8月20日までアメリカのスタンフォード大学心理学部で、奇妙な実験が行われた。
 刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまうことを証明しようとした実験である。

 新聞広告などで集めた普通の大学生などの被験者21人…。11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けた。
 しかし、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになった。
 その後、あるできごとのために実験は1週間で中止される。
 心理学の研究史の中で「スタンフォード監獄実験」と呼ばれるものである。

ボランティアに集まった人々


 善良な人々を有害な場所に入れた時、いったい何が起こるのか?

 この疑問は、1971年にスタンフォード大学で実施された劇的な監獄生活模擬実験の中で提出されたものである。
 1971年8月14日から1971年8月20日まで、心理学者フィリップ・ジンバルドー(Philip Zimbardo)の指導の下に、刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまうことを証明しようとした実験が行われた。実験期間は2週間の予定だった。

 しかし、彼らが計画した2週間の監獄生活における心理学調査は、実験状況が参加者である大学生をはじめとする若者に及ぼした影響のために、わずか6日で終了せざるを得なくなった。たった数日で、看守達は加虐的になり、囚人達は抑鬱状態になり、極度のストレスを示す兆候が現れたのである。

 ジンバルドー博士の率いる研究グループは、新聞広告などで集めた普通の大学生などの被験者21人の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせることにした。
 心理的な効果の何によって、囚人が囚人らしくなり、看守が看守らしくなるのか調査することが目的であった。研究グループは、本物の環境にきわめて近い刑務所を建てて、それから、その壁の中で注意深くリサーチを進めることに決めた。


 被験者のボランティアの募集広告によって、70人以上の申込者があった。面接診断と性格検査によって、精神的な問題を抱える人や、医学的な障害または犯罪や薬物濫用の履歴がある人間を排除した。そして最後に、一日15ドルの日当を得たいというアメリカとカナダの24人の大学生などの若者が残った。彼らは検査において、あらゆる局面で通常の反応を示していた。
 刑務所生活の研究は、これらの健康で知的な、中流階級の男性とともに始まった。これらの男たちは、コインを指ではじき、2つのグループに任意に分けられた。半分は看守側、もう半分は囚人として無作為に割り当てられた。この実験がはじまる前に、看守役と囚人役の男たちに本質的な差異がなかったことを強調しておきたい。

 研究グループが刑務所環境を構築するために、経験豊かなコンサルタントが招聘された。刑務所でほぼ17年務めた元囚人である。実験用の刑務所は、スタンフォードの心理学部の建物の地階に建設された。建物の廊下が通路として使われ、囚人が歩いたり、運動してもよい庭として利用された。刑務所の監獄をつくるために、研究所の部屋からドアを外し、鉄格子つきの特製のドアと入れ替えた。
 ホールの一端に、起こったできごとをビデオ録画することができるように、カメラを据えつけた。反対側の通路の端には、独房として囚人を監禁することになった小さなクローゼットがあった。それは暗くて、幅およそ2フィートと高さ2フィートでしかなかった。囚人が議論したものをモニターするために、ひそかに牢獄内を盗聴できるようにした。監獄には窓がついておらず、時計も設置しなかったため、囚人が時間を自分で知ることはできなかった。


軽度のショック状態(1日目)


 囚人役は車に乗せられて、「スタンフォード郡刑務所」に連れてこられた。囚人はそれから1人ずつ監督官に挨拶された。
 監督官は彼らの罪の許しがたいことと、囚人という彼らの新しい身分を宣言した。それぞれの囚人は、体を検査されて裸にされた。それからスプレーでシラミを駆除された。
 囚人は、それから囚人服を支給された。このユニフォームの主要部はスモックのようになっていた。それを各々の囚人は下着なしでいつでも着ていた。スモックの上の背中と胸のあたりに、彼の刑務所での囚人番号が貼ってあった。右の足首には重いチェーンを巻きつけ、ボルト留めして、いつでも着けさせた。

 囚人役の足のチェーンが、彼らの環境の重苦しさを思い出させるために使われた。囚人が眠っているときでも、彼らは抑圧の空気を逃れることができない。囚人がひっくり返ったとき、チェーンは彼の他の足を打つ。そして、彼の目を覚まし、彼がまだ刑務所にいること思い出させるのである。囚人番号の使用は、囚人を匿名であると感じさせる方法である。各々の囚人は彼の番号によって呼ばれ、その番号によって他の囚人と対話することができる、とした。
 

 囚人の髪は剃り落した。ひげも剃った。髪型または髪の長さを通して、彼らの個性を表わさないように、各々の人間の個性を最小にするため設計したのである。それは軍隊や大部分の刑務所と変わらないことである。それは人々に任意の強制的な原則に従わせる方法である。頭を剃られることによる、様子の劇的な変化は、写真でもよくわかるであろう。
 看守には特定のトレーニングをしなかった。その代わりに、彼らは法と秩序を維持して、囚人の尊敬を集めるのに必要であると思ったことは何でもしていい、ということにした。看守たちは自身でいろいろな規則を作っていった。本当の刑務所と同様に、囚人たちが看守から、いくらかのいやがらせを受けるだろうと、研究グループは予想していた。

 すべての看守は、カーキ色の同一のユニフォームを着た。首の回りに笛をかけ、警察から借りた警棒を持ち、特別なサングラスをかけた。反射するサングラスは、彼らの感情が囚人に読まれるのを防ぎ、彼らに匿名性を与えるのに役立った。研究グループは、もちろん囚人だけでなく看守の方も研究対象としていた。
 
 最初は、仮設の刑務所において、9人の警備員と9人の囚人から始めた。囚人は3人ずつ、3つの監房に24時間入れられ、3人の看守が八時間交替制で働いた。
 必要になった場合に備えて、他のあまった看守と囚人は待機していた。監房は囚人が眠るための3つのベッドがあるだけで、スペースは非常にせまかった。囚人は笛で睡眠から起こされて、朝と夕、夜中の午前2時30分に「カウント」をさせられた。「番号!」「1」「2」「3」…というおなじみのものである。囚人の数をかぞえるためなのだが、これはより重要なことに、看守が囚人の制御を行うための規則的な機会となった。
 
 最初は、囚人は完全に彼らの役割に慣れてなくて、あまりまじめにカウントをしなかった。彼らは、まだ彼らの個性を主張していた。看守も看守で、新しい役割には気づいていたが、どのように囚人に対する権限を主張するべきかについて、まだよくわかっていなかった。これが、看守と囚人との一連の対立の始まりであった。

 腕立て伏せが、看守が囚人の違反を罰するための体罰の一般の形となった。
 看守が腕立て伏せを囚人に要求するのを見たとき、研究グループは、これが刑務所における体罰の最小の形であると考えた。しかし、強制収容所に収容されていたアルフレッド・カンターによる証言にもあるように、腕立て伏せがナチの強制収容所の罰の形としてしばしば使われていたということを後で知った。囚人らが腕立て伏せをしている間、看守のうちの1人が囚人の背中を踏んだり、他の囚人を座らせたり、腕立て伏せをしている仲間の囚人の背中を踏ませたことは、注目に値する。

看守と囚人の対立(2日目

 1日目が何事もなく過ぎたので、研究グループは2日目の朝に起きた反乱に対する準備が何もできていなかった。囚人たちは彼らのストッキングキャップを脱ぎ、彼らの番号札をむしり取り、ドアに対してベッドを置くことで監房に立てこもった。囚人役の男たちがののしり始めたので、看守役の男たちはとても怒って、失望をあらわにした。看守は、彼ら自身の力で、反乱を取り扱わなければならなくなった。そして、彼らがとった対策は、研究グループのスタッフを魅了するのに充分なものであった。
 
 最初、看守たちは増援を呼ぼうと主張した。自宅で待機中の、呼び出しを待っていた3人の看守が刑務所に入った。そして、夜勤の看守は自発的に、午前中の警備体制を強化するために残った。看守たちは集まって話し合い、力には力で対することに決めた。看守はそれぞれの監房に侵入して、囚人の服をはいで裸にして、ベッドを取り出し、囚人による反乱の首謀者に独房への監禁を強いて、他の囚人たちを脅迫して君臨し始めた。反乱は一時的に鎮圧された。しかし、新しい問題が看守の前に現れた。

 確かに、9人の看守は9人の囚人による反乱を鎮圧することができた。しかし、いつまでも当番を9人にしておくことはできない。刑務所の運営予算に限界があった。
 それで、看守たちはどのような行動に出たか? 看守のうちの1人が提案をした。「体でねじ伏せる代わりに、精神的な戦術を使用しましょう」と。心理戦術により、まず特権的な独房を建てるようになった。 3 つのうちの1つの監房が、特権的な独房に指定された。反乱に最も関係しなかった3人の囚人が、その特権を与えられた。彼らは自分たちの服を取り戻し、ベッドを取り戻し、歯を洗って磨いてもよいという許可を得た。他はそうではなかった。また、特権的な囚人は、一時的に食べることの権利を失った他の囚人の前で、食物を食べなければならなかった。その影響は、囚人の間の団結を断ち切り、分裂を生み出す結果になった。


 この処置の半日後に、看守役たちは、これらの模範囚の何人かを「悪い」監房に入れ、「悪い」囚人の何人かを「良い」監房に入れた。そして、完全にすべての囚人を混乱させるのに成功した。その時、首謀者であった囚人の何人かが、特権的な囚人のなかに情報提供者がいるにちがいないと考えた。突然、囚人は互いに信用しなくなった。前科者のコンサルタントは、類似した戦術が囚人の提携を断つために、本当の刑務所で本当の看守によって用いられていることを、後で博士と研究グループに教えてくれた。
 
 この時から、それはもはや単なる実験(シミュレーション)ではなくなっていた。
 根に持った囚人役の誰かが、本当に看守の誰かに危害をもたらすかもしれないと見られた。この脅威に応じて、看守は彼らの支配の力と、監視と、攻撃性を強めていった。 囚人のふるまいのあらゆる側面は、看守の完全な制御下に入った。トイレに行くことさえ看守が許可することになっていたが、彼の気まぐれで拒否することもできるようになった。実際に、毎夜の午後10時の消灯以後、囚人たちは彼らの監房に残されたバケツで排尿や排便をすることを、しばしば強制された。時には、看守がこれらのバケツを空にするのを許さず、すぐに刑務所は尿と糞便のにおいがし始めた。

 看守は、特に反乱の首謀者(Prisoner #5401)に厳しく対処した。この囚人はヘビースモーカーだった。看守は煙草を吸う機会を管理することによって、彼をコントロールすることにした。
 実験がはじまって36時間もたたないうちに、一人の囚人Prisoner #8612が急性情緒障害、無秩序な考え、制御不能に泣いたりする衝動で、苦しみ始めた。研究グループの刑務所コンサルタント(元囚人)がPrisoner #8612と面談したとき、コンサルタントは彼がとても弱いのをたしなめて、もしサン・クウェンティン刑務所にいたならば、どんな虐待を看守がするかについて話した。
 #8612は、さらなる看守の嫌がらせを受けないことの保証のかわりに、情報提供者にならないかと看守に申し込まれたという。それをよく考えるようにと言われた。 Prisoner #8612は、他の囚人に話した。「この実験から去ることはできないらしい、囚人役は最後までやめることができないのだ」。これは本当に閉じ込められた彼らの感覚を強めた。#8612はそれから「おかしい」ふりを始めた。しかし、彼は本当に苦しんでいたのである。研究グループが、彼を解放しなければならないと判断するまでに、かなりの時間がかかってしまった。

脱獄計画 (3日目)


 博士と研究グループが対処しなくてはならなかったのは、脱出計画の噂に対してであった。
 看守のうちの1人が、面会時間の直後に起こそうと計画している脱出について話しているのを耳にした。囚人#8612が前の晩に実験から解放されていたのだが、彼がたくさんの彼の友人を外の世界から集めてきて、囚人たちを釈放するために押し入ってくれるという噂であった。

 フィリップ・ジンバルドー博士率いる研究グループは、この噂に対して、どのような対応をとったのか。研究グループは噂が伝達するパターンを記録して、間近に迫った脱出を観察するための準備をしたのだろうか? 
 
 それは、研究グループが実験的な社会心理学者であるならば、しなければならないことであった。しかし、研究グループはこの仮設の刑務所の安全に対する懸念を持っていた。脱出計画を頓挫させるために、本物の警察署のウォーデン本部長と主任のクレイグヘイニー大尉と戦略的な話し合いを開くことにした。
 ミーティングの後、研究グループは情報提供者(実験的な共謀者)を、#8612が占有していた監房に置くことに決めた。情報提供者の仕事は、研究グループに脱出計画に関する情報を与えることになっていた。それから、ジンバルドー博士がパロアルト警察署にいって、実験に参加している囚人たちを警察の古い刑務所へ移送することができるかどうか、軍曹に尋ねた。 しかし、博士の要請は断られた。それから、博士と研究グループは第2の計画を案出した。仮設の刑務所を解体して、より多くの看守を呼び込み、囚人を鎖でつないで彼らを第5の保管室へ移送することであった。あるいは、危険分子となっている#8612を何かの口実で呼び戻して、再び彼を収監することさえ考えた。


 博士が侵入者が押し入るのを心配して、一人でそこに座っていると、同僚で元イェール大学院生のゴードン・バウアーがやってきた。ゴードンは博士たちが実験をしていると聞いており、何が起こっているのか見に来たのである。博士は実験してきたことを簡潔に述べた。すると、ゴードンは単純な質問をした。「言ってください、この研究は何のためにやっているんですか?」
 しかし、脱獄という噂は、単なる噂であることが判明した。それは決して実現しなかった。博士たち研究グループは、脱出をしくじらせる計画のために丸一日を費やしていた。看守は非常に顕著にいやがらせのレベルを上げていた。囚人を苦しませ、屈辱を増やしていた。囚人に素手で便器を掃除するようなつまらない、反復的な仕事をすることを強制した。看守は囚人に相変わらず腕立て伏せをさせていたが、それを非常に長い時間におよんでいた。

 この時点で、刑務所の状況がどれくらい現実的であるかを評価するために、刑務所付きの牧師であった聖職者を招待した。
 結果は本当にカフカの小説のようであった。
 牧師は個々に囚人と面談した。半分の囚人が番号によって自分の自己紹介をしたことを、博士は驚きの目で見ていた。 いくらかのお喋りの後、牧師は本質的な問題を話した。「息子よ、あなたはここから出るために、何かしていますか?」。囚人は当惑した。もし望むならば、法律扶助を得るために、牧師が彼らの両親と連絡をとると申し出た。そして、囚人の何人かはその申し込みを受け入れた。 聖職者の訪問は、ロールプレーイング(役割演技)と現実の間の境界をぼやけさせた。日常生活で、この男性は本当の聖職者であった。しかし、牧師はとても上手に、紋切り型のプログラムされた役割を演ずるために、彼は本当の聖職者よりも聖職者の映画バージョンのような存在になるべきだと考えたのである。

 聖職者と話したがらなかった、ただ一人の囚人はPrisoner #819であった。その人は気分が悪くなっていて、食べることを拒否して、聖職者よりむしろ医者に行きたがっていた。結局、彼は独房から出てきて、聖職者と話をするように説得された。博士と牧師と話している間、彼は自制心を失って、ヒステリックに泣き始めた。博士は彼の足からチェーンをとって、刑務所の庭に隣接してある部屋で休むように言った。博士は彼のためにいくらかの食物を与えてから、医者を呼ぶために出て行った。
 
 その間、看守のうちの1人が、他の囚人を一列に並べて、口に出して合唱させた。「囚人#819は、だめな囚人です」。彼らは12回にもわたって、同時にこの文句を叫びつづけた。
 博士は#819が合唱を聞いてしまうと思い、すぐに彼のいる部屋へ戻った。
 仲間の囚人が、彼がだめな囚人であると叫ぶ間、彼は途方もなくすすり泣き、まるで小さな男の子のようであった。博士は、彼に家に帰るように提案した。しかし、彼は拒絶した。彼は他の囚人たちに「だめな囚人」だとレッテルをはられたので、去ることができないと言った。たとえ気分が悪くなったとしても、彼は監房へ戻っていき、彼がだめな囚人でないということを証明したかったのである。 その時、博士はこう言った。「聞いてください、あなたは#819ではありません。あなたは○○○です。そして、私の名前はジンバルドー博士です。私は心理学者で、刑務所の本部長ではないのです。そして、これは本当の刑務所ではありません。これはただの実験です。そして、あなたは囚人ではなく、学生です。さあ、行きましょう」。彼は突然泣くのを止めて、悪夢から起こされる小さな子のように博士を見上げて、こう答えた。「OK、行きましょう。」

仮釈放監察委員会(4日目)


 その翌日、仮釈放するだけの根拠を持つと思われる全ての囚人は、鎖でつながれて、委員会の前に個々に連れてこられた。
 委員会は、主に囚人を知らない人(秘書や大学院生)から成っており、刑務所コンサルタントがそのトップに据えられていた。いくつかの注目に値することが、仮釈放の審理の間に起こった。
 最初に、仮釈放するならば、彼らがそれまでの時間で稼いだ金額は払えないと囚人に言ったとき、ほとんどの囚人が「構わない」と答えた。審理を終えて、彼らの監房へ戻るように囚人に言ったとき、あらゆる囚人はその指示に素直に従った。なぜ、彼らは従ったのか? 彼らは抵抗することができないと感じていたからである。彼らの現実感は揺らいでいた。囚人たちは彼らの投獄を実験として、もはや考えていなかった。研究グループがつくった精神的な監獄のなかで、そのスタッフだけに仮釈放を与える力があると考えていたのである。

看守と囚人の関係(5日目)

 

 5日目までに、新しい関係が看守と囚人の間にできていた。
 
 看守はときどき退屈で、ときどき面白いその仕事に簡単に慣れていた。 3 種類の看守がいた。最初に、刑務所規則に従う、手ごわいブロンドの看守がいた。第2に、囚人のためにほとんど好意的なことは何もしないのに、彼らを決して罰しなかった「善人」がいた。そして、看守のおよそ3分の1は、囚人に敵対し、彼らが得る屈辱を任意で発明する才があった。これらの看守は完全に彼らが行使した力を楽しんでいるように見えた。それでも、事前の性格検査には、何もこのふるまいを予測する徴候を見つけることができなかった。個性と刑務所におけるふるまいの関連は見出せなかった。
 
 囚人役の人々は、さまざまな方法で、欲求不満と無力感に対処した。最初、一部の囚人は反抗するか、看守を敵に戦った。4人の囚人は、状況を逃れる方法として感情的に壊れることによって反応した。仮釈放の要請が断られたということを知ったとき、1人の囚人は彼の全身の上に神経症的な発疹を起こした。
 他の人は、聞き分けの「良い囚人」であることによって対処しようとした。そして、看守が彼らに望んだことのすべてをし、全ての命令を実行する際にとても軍隊的であったので、看守の一人は「軍曹」というあだ名をつけられさえした。実験終了までに、個人としての囚人は崩壊した。もはや少しのグループ統一もなかった。ちょうど、戦争の捕虜、または入院した精神病者のようで、何とか持ちこたえている孤立した個人でしかなかった。看守は刑務所の完全な管理を勝ちとった。囚人の盲目的な服従を命じた。


 博士と研究グループは、反乱の1つの最終的な行為を見た。
 囚人#416は他の囚人と違って、到着した当初からこの囚人の恐怖は十分に発達していた。囚人#416は、彼の解放を実現するためにハンガーストライキをすることによって対処した。#416に食べさせようとした、何回かの不成功な試みの後、看守たちは自分で作ったルールが1時間に制限しているところを、この囚人に関しては3時間、独房へ監禁するために放り込んだ。それでも、#416は食べることを拒絶した。
この点で、#416は他の囚人への英雄でなければならなかった。しかし、その代わりに、他の囚人は、彼のことをトラブルメーカーとみなした。看守は、囚人たちに選択を迫った。彼らが毛布をあきらめる気があるならば、#416を許すと言ったのである。ほとんどの囚人が、彼らの毛布の方をとって、仲間の囚人に一晩中、独房で孤独に苦しませることに決めた。博士と研究グループは、看守たちに後で介入してもとの監房に#416を戻さなくてはならなかった。

実験の中止(6日目)


 5日目の夜に、一部の訪問した両親たちが、彼らの息子をこの仮設刑務所から出すために、弁護士と連絡をとると言い出した。
 彼らは牧師に、息子たちを救済するなら、弁護士または公定弁護人をつかまえなければならないと電話したと言った。牧師は要望通り、弁護士に電話をした。そして、彼が、それが実験であるということを知っていたとしても、法的疑問を解決するために、囚人と面談しようと、その翌日来た。この時点で、博士と研究グループが、実験を終えなければならないことが明らかになった。圧倒的に強力な状況(囚人たちは消耗していて、病理学的な方向でふるまっており、看守の何人かはサディスティックにふるまっていた)がつくられていた。「良い」看守でさえ介入することはできなかった。実験が進行中の間、看守は誰もやめなかった。看守の誰一人として、シフトに遅れず、病欠もせず、早退もせず、超過勤務のために臨時給与を要求もしなかったことに留意する必要がある。

 博士は2つの理由のために、早期に実験を取りやめた。最初に、博士はビデオテープによって、看守が研究者の見ていないと思っていた夜中ごろ、囚人に虐待を拡大しているということを知った。看守たちの退屈は、それまで以上に、よりポルノ的で、名誉を傷つけるタイプの虐待に追いやっていたのである。第2には、クリスティーナ・マスラーク(看守と囚人をインタビューするために引き入れられたスタンフォードの博士)が、囚人の動くトイレや頭の上のバッグ、一緒に鎖でつながれた足の行進を見たとき、強く反対した。彼女は憤激して言った。「あなたが、男の子たちにしていることはひどいです!」。博士の仮設刑務所を見た50人以上の部外者のうち、彼女はその道徳性を疑ったただ一人の人間であった。


 わずか6日目で、心理学者フィリップ・ジンバルドー博士とその研究グループの監獄実験は、予定の2週間にみたないうちに中止になった。最後の日に、研究グループは、一連のセッションを開いた。全ての囚人(以前に解放された人々を含む)と、全ての看守と、研究グループのスタッフが話し合いを持った。外でみんなの感情をさぐり出して、博士たち自身で観察したものを語って、経験を共有しようという要望でそうした。博士は利用できた道徳的な選択肢をチェックした。また、普通の個人を自発的な犯人、または悪の犠牲者に変えるかもしれない状況が避けられたかどうか話し合った。 この実験と研究は、1971年8月20日に終了した。
 
 ジンバルドー博士の一つの結論は次のようなものである。「わずか6日の間に、我々のシミュレーションされた刑務所を観察した結果、我々は刑務所がどのように人々から人間性を奪うかについて理解することができました。そして、彼らを物に変えて、絶望の感情を彼らにしみ込ませました。そして、看守に関しては、我々はどれほど一般の人が、良いジキル博士から凶悪なハイド氏まですぐに変わることができるかについて理解しました。 問題は、現在、彼らが彼ら自らを悪へと滅ぼすよりはむしろ、人間の価値を高めるように、どのように我々のシステムを変えるべきかということです。悲しいことに、この実験が行われた時から、数十年の間、アメリカ合衆国の刑務所の状況と矯正方針は、さらにより懲罰的で破壊的になっているのです」

 さらに詳しい情報を知りたい方には、『Quiet Riot』という海外DVDがお勧めである。
 フィリップ・ジンバルドー博士自らが監修し、監視カメラからの映像などが数多く盛り込まれている。英語版のみ。




《参考》
Stanford Prison Experiment 公式ページ  http://www.prisonexp.org/