映画『es(エス)』は本当にあった話である
1971年8月14日から1971年8月20日までアメリカのスタンフォード大学心理学部で、奇妙な実験が行われた。
刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまうことを証明しようとした実験である。
新聞広告などで集めた普通の大学生などの被験者21人…。11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けた。
しかし、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになった。
その後、あるできごとのために実験は1週間で中止される。
心理学の研究史の中で「スタンフォード監獄実験」と呼ばれるものである。
ボランティアに集まった人々
善良な人々を有害な場所に入れた時、いったい何が起こるのか?
この疑問は、1971年にスタンフォード大学で実施された劇的な監獄生活模擬実験の中で提出されたものである。
1971年8月14日から1971年8月20日まで、心理学者フィリップ・ジンバルドー(Philip Zimbardo)の指導の下に、刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまうことを証明しようとした実験が行われた。実験期間は2週間の予定だった。
しかし、彼らが計画した2週間の監獄生活における心理学調査は、実験状況が参加者である大学生をはじめとする若者に及ぼした影響のために、わずか6日で終了せざるを得なくなった。たった数日で、看守達は加虐的になり、囚人達は抑鬱状態になり、極度のストレスを示す兆候が現れたのである。
ジンバルドー博士の率いる研究グループは、新聞広告などで集めた普通の大学生などの被験者21人の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせることにした。
心理的な効果の何によって、囚人が囚人らしくなり、看守が看守らしくなるのか調査することが目的であった。研究グループは、本物の環境にきわめて近い刑務所を建てて、それから、その壁の中で注意深くリサーチを進めることに決めた。
被験者のボランティアの募集広告によって、70人以上の申込者があった。面接診断と性格検査によって、精神的な問題を抱える人や、医学的な障害または犯罪や薬物濫用の履歴がある人間を排除した。そして最後に、一日15ドルの日当を得たいというアメリカとカナダの24人の大学生などの若者が残った。彼らは検査において、あらゆる局面で通常の反応を示していた。
刑務所生活の研究は、これらの健康で知的な、中流階級の男性とともに始まった。これらの男たちは、コインを指ではじき、2つのグループに任意に分けられた。半分は看守側、もう半分は囚人として無作為に割り当てられた。この実験がはじまる前に、看守役と囚人役の男たちに本質的な差異がなかったことを強調しておきたい。
研究グループが刑務所環境を構築するために、経験豊かなコンサルタントが招聘された。刑務所でほぼ17年務めた元囚人である。実験用の刑務所は、スタンフォードの心理学部の建物の地階に建設された。建物の廊下が通路として使われ、囚人が歩いたり、運動してもよい庭として利用された。刑務所の監獄をつくるために、研究所の部屋からドアを外し、鉄格子つきの特製のドアと入れ替えた。
ホールの一端に、起こったできごとをビデオ録画することができるように、カメラを据えつけた。反対側の通路の端には、独房として囚人を監禁することになった小さなクローゼットがあった。それは暗くて、幅およそ2フィートと高さ2フィートでしかなかった。囚人が議論したものをモニターするために、ひそかに牢獄内を盗聴できるようにした。監獄には窓がついておらず、時計も設置しなかったため、囚人が時間を自分で知ることはできなかった。
軽度のショック状態(1日目)
囚人役は車に乗せられて、「スタンフォード郡刑務所」に連れてこられた。囚人はそれから1人ずつ監督官に挨拶された。
監督官は彼らの罪の許しがたいことと、囚人という彼らの新しい身分を宣言した。それぞれの囚人は、体を検査されて裸にされた。それからスプレーでシラミを駆除された。
囚人は、それから囚人服を支給された。このユニフォームの主要部はスモックのようになっていた。それを各々の囚人は下着なしでいつでも着ていた。スモックの上の背中と胸のあたりに、彼の刑務所での囚人番号が貼ってあった。右の足首には重いチェーンを巻きつけ、ボルト留めして、いつでも着けさせた。
囚人役の足のチェーンが、彼らの環境の重苦しさを思い出させるために使われた。囚人が眠っているときでも、彼らは抑圧の空気を逃れることができない。囚人がひっくり返ったとき、チェーンは彼の他の足を打つ。そして、彼の目を覚まし、彼がまだ刑務所にいること思い出させるのである。囚人番号の使用は、囚人を匿名であると感じさせる方法である。各々の囚人は彼の番号によって呼ばれ、その番号によって他の囚人と対話することができる、とした。
囚人の髪は剃り落した。ひげも剃った。髪型または髪の長さを通して、彼らの個性を表わさないように、各々の人間の個性を最小にするため設計したのである。それは軍隊や大部分の刑務所と変わらないことである。それは人々に任意の強制的な原則に従わせる方法である。頭を剃られることによる、様子の劇的な変化は、写真でもよくわかるであろう。
看守には特定のトレーニングをしなかった。その代わりに、彼らは法と秩序を維持して、囚人の尊敬を集めるのに必要であると思ったことは何でもしていい、ということにした。看守たちは自身でいろいろな規則を作っていった。本当の刑務所と同様に、囚人たちが看守から、いくらかのいやがらせを受けるだろうと、研究グループは予想していた。
すべての看守は、カーキ色の同一のユニフォームを着た。首の回りに笛をかけ、警察から借りた警棒を持ち、特別なサングラスをかけた。反射するサングラスは、彼らの感情が囚人に読まれるのを防ぎ、彼らに匿名性を与えるのに役立った。研究グループは、もちろん囚人だけでなく看守の方も研究対象としていた。
最初は、仮設の刑務所において、9人の警備員と9人の囚人から始めた。囚人は3人ずつ、3つの監房に24時間入れられ、3人の看守が八時間交替制で働いた。
必要になった場合に備えて、他のあまった看守と囚人は待機していた。監房は囚人が眠るための3つのベッドがあるだけで、スペースは非常にせまかった。囚人は笛で睡眠から起こされて、朝と夕、夜中の午前2時30分に「カウント」をさせられた。「番号!」「1」「2」「3」…というおなじみのものである。囚人の数をかぞえるためなのだが、これはより重要なことに、看守が囚人の制御を行うための規則的な機会となった。
最初は、囚人は完全に彼らの役割に慣れてなくて、あまりまじめにカウントをしなかった。彼らは、まだ彼らの個性を主張していた。看守も看守で、新しい役割には気づいていたが、どのように囚人に対する権限を主張するべきかについて、まだよくわかっていなかった。これが、看守と囚人との一連の対立の始まりであった。
腕立て伏せが、看守が囚人の違反を罰するための体罰の一般の形となった。
看守が腕立て伏せを囚人に要求するのを見たとき、研究グループは、これが刑務所における体罰の最小の形であると考えた。しかし、強制収容所に収容されていたアルフレッド・カンターによる証言にもあるように、腕立て伏せがナチの強制収容所の罰の形としてしばしば使われていたということを後で知った。囚人らが腕立て伏せをしている間、看守のうちの1人が囚人の背中を踏んだり、他の囚人を座らせたり、腕立て伏せをしている仲間の囚人の背中を踏ませたことは、注目に値する。