シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

ロンリーハート ①

johnfante2007-12-13


全米一有名な連続殺人鬼のカップ
マーサ・ベックとレイモンド・フェルナンデス
2人をモデルにした'69年の映画『ハネムーン・キラーズ』 
ジョン・トラボルタサルマ・ハエック主演の『ロンリーハート』(右)
公式HP http://www.lonelyheart.jp/


プロローグ

 

1951年3月8日。
レイモンドとマーサは、ニューヨークのシンシン刑務所で処刑された。証人はマスコミを中心に52人と多めの人数だった。
最後の食事の後、マーサはレイモンドに不滅の愛について書いたメモを送った。
電気椅子に座る直前、レイモンドはこう叫んだ。
「俺は叫び出したい! 俺はマーサを愛してる! 世間の奴らに愛の何がわかるというんだ?」


マーサの最後の言葉は次のようなものだった。
「誰のせいかなんて興味がないわ。わたしの物語は愛の物語なんだから。でも、その意味が分かるのは、心底愛に苦しんだことがある人だけよ。わたしは太った冷酷な女だと言われてきた……。わたしは冷酷でも愚かでもない。世界の歴史のなかで、愛のために行われたと言える犯罪がいくつあって?」
2人が犯した罪に比べれば、死刑でさえまだ軽い。しかし、彼らが犯罪を愛ゆえのものだと主張するとき、誰がそれを笑い飛ばすことができるだろう。


結婚詐欺師レイモンド


レイモンド・フェルナンデスは、そこそこ自分の人生を気に入っていた。小男で口がうまく、詩人でロマンティックな、腕のいいニューヨークに住む結婚詐欺師。
大戦中は英国軍のスパイ活動をしていた。45年に船上で、頭を強打する事故に会い、翌年に窃盗罪で逮捕されてフロリダ州の刑務所に入れられた。
ここの受刑者の多くが西インド諸島ブードゥー教信者であり、レイモンドは彼らから魔術を学び、遠く離れたところから女を自分に惚れされる魔術を身につけた、と本人は言っている。


そして戦後、彼は結婚詐欺を思いついた。新聞の交際欄「ロンリーハート・クラブ」に文通相手や恋人を募集する広告を出した孤独な女性に近づき、金を巻き上げる。
2年間に100人を越える戦争未亡人やオールドミスの貞操と銀行口座を奪い取り、10人以上のお相手を並行して進めていたというから、その色男ぶりに恐れ入る。
手口はきわめて単純だった。ロンリーハートで見つけた女性に、詩的で熱烈な愛情をうたった手紙を送りつけ、高いテンションを保ったまま文通を続ける。
そして、高級ホテルのロビーなどで初めての逢引き。女性の信頼を勝ち取ったところで、現金、ジュエリー、小切手など何でも盗めるものを盗んで永遠に姿を消すのだ。



ロンリーハート」予告編


47年10月に出会ったジェーン・トンプソン(Jane Thompson)とは、彼女の金でスペインへ新婚旅行にまで行った。ホテルは夫と妻の名義で泊まるという図々しさ。
相手がすぐに結婚したがるときは、銀行口座や不動産を彼の名義に変えた上で、トンズラして財産を奪う。
戦争未亡人は特にいいカモで、死亡した旦那の弔慰金を5000ドル〜1万ドルは持っていた。
未亡人やオールドミスは騙されたことを恥じて、また新聞に自分の名前が犯罪や「ロンリーハート」と関連した形で掲載されることを恐れて、警察に通報するようなことはまれだった。


マーサ・ベック


マーサ・ベックは子供の頃から太っていた(体重100キロ以上)。看護婦の試験に受かって、カリフォルニアへ移住。とても評判のいい看護婦だった。
23歳のときに男と関係して妊娠するが、結婚をせまると相手の男が自殺未遂した。
翌44年にバス運転手と結婚し、2人目の子供をもうけるが、半年後に離婚。27歳でシングルマザーとなった。
マーサはロマンチックな小説を読みふけり、昼メロ映画に没入する、出会いを夢見るどこにでもいる孤独な女性だった。


46年、マーサは身障児施設で働き始め、秋には婦長に昇進。ある日、同僚がからかい半分で、彼女の名を騙って手紙を書いた。宛先はニューヨークの「ロンリーハート・クラブ」(正式にはMother Dinene's loneyly hearts club)で、入会申込書を申請したのだ。
それでも、マーサは申込書に真面目に書き込み、王子様が現れるのを待った。仕事から帰ると神経質に郵便箱をチェックし、手紙が彼女の孤独という痛みを取り払ってくれることを願った。そしてマーサに手紙を書いたのは、レイモンドただ1人だった。


恋人募集欄を介して


2週間後、レイモンドの手紙が届いた。今回、彼はスペイン系の成功した輸入業のビジネスマンだと名乗った。礼儀正しく心の込もった手紙だった。
「このアパートの部屋は広すぎて、いつか自分の妻と一緒に過ごしたいと思っています」など。2人は手紙や写真を交換し、マーサは外見に自信がなく看護婦の集合写真を送った。
48年12月、2人はフロリダのペンサコーラ駅で待ち合わせた。レイモンドは彼女の要望と体重に驚いたが、プロなので顔に出さなかった。
マーサの家へ行き、2人の子供にも会った。しかし、マーサが財産を持っていないことを見抜くと、レイモンドは「仕事があるから」と言って、さっさとニューヨークへ引き返した。


しかし、毎日マーサから熱烈なラブレターが届いた。「あなたを尊敬してはいるけれど情熱は感じない。もう二度と会わない方がいいと思う」と返事を送ると、マーサはオーブンに頭を突っ込んで自殺を図った。
彼女の方が一枚上手だった。警察沙汰になることを怖れ、レイモンドは「ニューヨークを訪れてはどうか」とマーサを誘った。
48年1月、仕事も家も捨てて、マーサは2人の子供とニューヨークのレイモンドの家の前に立っていた。レイモンドは彼女が献身的に身のまわりを世話するので(看護婦だから)何となく受け入れてしまった。
しかし、2人の子供は救世軍に預けた。これでマーサは完全にすべてを捨てて、愛に飛び込んだ形になった。


(金子遊)