シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

華城連続殺人事件 〜殺人の追憶〜 ④

johnfante2006-09-01

殺人の追憶 オリジナル・サウンドトラック

殺人の追憶 オリジナル・サウンドトラック

深まる猟奇性


 8人目の犠牲者の事件から14ヵ月後、1990年11月15日午後6時半ごろのこと。
 華城で中学1年生のキム・ミヨンちゃん(当時14歳)が学校帰りに、クラスメイトと小学校の前の地下道で別れたあと行方不明になった。
 登下校のとき通らなければならない400メートルほどの松林のなかの細道で遺体は見つかった。手足が後ろ手に縛られ、体が弓のように大きくそりかえっていたので、その物体は小さく丸く見えた。
 犯行はその猟奇性を増していた。
 ブラジャーが口に詰め込まれ、ストッキングとブラウスで首を絞められていた。
 両胸には20ヶ所ほどの浅い切り傷があった。陰部にはボールペン、フォーク、スプーンが挿入されていた。犯人はキム・ミヨンちゃんの筆箱と弁当箱からこれらを取り出したのだ。


 弁当箱から犯人の指紋、被害者の制服からB型の精液が検出された。さらに白髪を1本発見した。犯人像が相当絞り込まれたという事実は、刑事たちを鼓舞させた。
しかし、その細道は午後7時から8時の間、予防のため警察を配置していた場所だった。
 犯人は警察が配置される時間を把握しており、その前に山に入り、帰宅途中だったキム・ミヨンちゃんを拉致し、手馴れたやり方で長時間被害者に苦痛を与えたあと、殺害に及んだのだった。
 マスコミなどを通じて、夜間巡回などは犯人にも確認できたはずだ。テレビや新聞で捜査状況が細かく報じられており、警察の動きを犯人に監視させているともいえる状況だった。


捜査本部では事件解決のひとつの方法として、事件発生予想地点を何ヶ所か把握し、夜、婦警をその場所に配置し、犯人をおびき寄せるという作戦に出た。婦警の安全のために、離れた場所で刑事たちに見張らせた。しかし、犯人は現れなかった。作戦が漏洩しているかのように思えるほど犯人は頭がよかった。


 住民の怪しいという証言により、2人目の事件現場付近に住んでいた工員のユン・ドンス(当時23歳)が、取調べを受けた。昼間は工場で働き、夜になると人の家に入り、隙間から女の部屋を盗み見していた。B型だった。ユン・ドンスは自供した。捜査本部をお祭り騒ぎだった。
 しかし、丸顔で太った体型をおかしく思ったハ・スンギョン刑事が精査したところ、嘘の供述をしたことがわかった。殺人容疑は晴れたが、その後、肝臓ガンで亡くなった。


 精神異常者のチャ・ミョンチョル(当時38歳)は有力な容疑者とみなされていた。彼は方向感覚がなかったため、町中を徘徊したあと、日が沈むころに家へたどり着く行動を見せていた。捜査チームは尾行をしばらく続けてからやめた。
 1990年12月の初頭、そんな彼が「誰かが俺を呼んでいる」「俺の家に爆弾が仕掛けられている」などと呟きだした。彼は異常が悪化したように見えたが、12月18日釜山発ソウル行きの列車に飛び込んで自殺した。
 1993年7月に検挙されたキム・ジョンギル(当時42歳)が、4件目と5件目の犯人だと自供した。翌8月に、遺書を残して自殺を図った。病院に運ばれて一命を取り留めたが、警察の監視下に置かれた。警察の我欲が招いた出来事で、彼は一生消えない傷を負わされてしまった。もちろん、無実であった。


最後の犠牲者


1991年4月4日の午前、グォン・スンジャさん(当時69歳)は水原市に住む娘の家へ寄り、夜8時20分ごろ帰宅するためにバスに乗った。バス停で下車し、田圃道を歩いて帰宅途中、家まで150メートルを残したところで殺害された。
10人目の犠牲者だった。華城市東灘面は警察の予防している範囲外の場所だった。レイプされた痕跡があり、黒のストッキングが2、3回首に巻きつけられ、膣内に靴下が挿入されており、精液はB型の陽性反応を見せた。


 警察は華城地域の機動隊一個中隊を補強し、派出所を増やし、山道などにも180ヶ所の哨所を立て、毎晩三個機動中隊が防犯勤務をした。しかし、捜査は進展を見せなかった。
2005年12月30日。京畿(キョンギ)警察庁の捜査指導官ハ・スンギュン警正(当時59歳)は、1980年代半ば韓国全土を恐怖に陥れた華城(ファソン)連鎖殺人事件の調査に当たってきたベテラン警察官であったが、彼の辞表が受理され「強力系刑事34年」の経歴と共に刑事職を後にした。


 ハ・スンギュン刑事は、辞表が受理された30日の当日午後3時、京畿警察庁で後輩の刑事を前に辞職講演を行った。ハ警正は「定年まで8か月残っているが、犯人も逮捕できないくせに国から給料をもらっていることが恥ずかしくて、辞表を出した」と述べた。
 彼は最後に次のように述べた。「私が殺人の追憶の主役だというが、本当は失敗した刑事に過ぎない。マッカーサー将軍は『老兵は死なず、消え去るのみ』と言ったが、私がその去っていく老刑事だ。私は諸君を信じる。この中の一人が必ず連鎖殺人犯を捕まえるものと。犯人を捕まえたときは、私が焼肉と酒をご馳走するよ」
 しかし、2006年4月14日、最後の犠牲者であるグォン・スンジャさんの事件も時効(韓国で殺人は15年)を迎え、いまだに犯人が誰であるか判明していない。
 この事件を題材にした映画『殺人の追憶』が2003年に公開され、韓国で大ヒットとなった。
 多くの韓国人が軍人による仕業だと思っている、という説もある。




《参考》
朝鮮日報 2005/10/31
朝鮮日報 2005/12/30
「華城事件は終わっていない―担当刑事の綴る『殺人の記憶』」
ハ・スンギュン著・宮本 尚寛訳