シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

狼たちの午後 ③

johnfante2008-01-10

狼たちの午後 (1976年) (Hayakawa novels)

狼たちの午後 (1976年) (Hayakawa novels)


上はパトリック・マン作の小説版「狼たちの午後」、右写真はジョンの逮捕時の写真

FBIが乗り出す


ついに、今まで静観していたFBI捜査官のリチャード・ベイカー(Richard Baker)と、マーフィー(Murphy)捜査官が動き出した。言いなりだった市警の刑事とは対照的に、リチャードは冷静な態度でジョンに近づき、優しく、そして時には力強い口調でジョンに投降を勧めた。


ジョンもFBIのリチャードや電話によるアーネストの説得に心が動いたが、一途に成功か死かのいずれかしかないと信じ込んでいるサルを裏切ることはできなかった。
ジョンの母による説得工作も失敗に終わる。銀行の前に集まった群衆のなかには、プラカードを掲げたゲイの一群もあり、ジョンに向けて力強いエールを送っていた。
警察側は、ジョンたちの要求通り、国外逃亡用のジェット機を用意せざるをえない状況に追い込まれた。ジョンとサルにとり、一か八かの試みのときが近づいていた。ジョンは行員の1人に筆記させて、生命保険を誰にいくらずつ分配するかなどについて遺書を作成した。



狼たちの午後」のオープニング


銀行を脱出


マイクロバスが銀行の前に用意された。
外へ出ていき、冷静にバスの座席をチェックしていくジョン。運転してきた黒人の男に、引き続き空港まで運転するように指示する。黒人の男は断りながらも、しぶしぶと承知する。ジョンはその男が警官だと気づき、代わりに近くにいたマーフィー捜査官のボディチェックをし、車の運転をするようにいった。
残りの7人の人質を周囲にめぐらせ、ジョンとサルは外へ出て行く。そして、素早くバスに乗り込むことに成功する。そこで1人の人質を解放した。FBI捜査官リチャードの運転する車に先導され、まわりをパトカーにかこまれて、マイクロバスはJFK空港に向けて走り出した。


銀行からJ空港までの、息づまるような緊張に充ちた移動。
警官が運転するマイクロバスが空港に到着した。目の前に、本物のジャンボジェット機が用意されていた。「本当に成功したぞ」とジョンは目を輝かせた。サルは後部座席で、緊張した面持ちで銃を握っていた。
リチャード捜査官が近づいてきて、ジョンに話しかけた。拳銃を持ったサルが降りようとしたとき、一瞬の隙をねらって、運転していたマーフィー捜査官が発砲した銃弾が、サルを撃ち抜いた。
結局、サルバトールは殺害され、ジョンは取り押さえられて、逃亡は失敗に終わった。


事件のその後


1973年4月23日、武装銀行強盗の罪により、ジョン・ウォトヴィッツは20年間の服役を宣告された。
初犯でさらに司法取引をしたが、情状酌量はなかった。ペンシルヴァニア州のルイスバーグにある刑務所に送られた。
75年、この事件の映画化を考えたワーナー・ブラザーズが、ジョンから7500ドルで映画化権を買いとった。さらに、映画の純利益の1パーセントを、彼が受け取れる契約になった。


ジョンは当初の目的の通り、そのうちの2500ドルを、アーネスト・アロンへ性転換手術費用として渡した。アーネストは手術を受けて、リズ・エデンと改名し、ニューヨークに住んだ。彼女は1987年にエイズで亡くなり、ジョンは7年間服役した後に釈放された。
01年のニューヨーク・タイムスの報道によれば、ジョン・ウォトヴィッツはブルックリンで、生活保護をもらいながら生活していたということだ。
2006年1月2日、彼は60歳で癌により亡くなった。



※ジョン・ウォトヴィッツに関しては、オランダのWalter Stokmanが「Based On a True Story」というドキュメンタリーを2000年に製作している。
http://www.basedonatruestory.nl/