シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

キルギスの奇習「誘拐婚」 ②

johnfante2007-03-02

秘境のキルギス―シルクロードの遊牧民 (1982年)

秘境のキルギス―シルクロードの遊牧民 (1982年)

奇習「アラ・カチュー」


このように女性を誘拐して、妻にしてしまう風習は、現地で「アラ・カチュー」と呼ばれている。日本語にすれば、「奪い去る」の意味である。
多くの場合は、女性の側が結婚を望んでいようがいまいが、おかまいなしに強引に進められる。
キルギスタンでは、この「アラ・カチュー」が公然とまかり通っている。最近実施された調査によれば、過去50年間、このような「誘拐婚」の件数が増加してきている。
しかも、既婚女性の半分以上は「アラ・カチュー」の風習を経て結婚した女性たちであり、少なくとも3分の1の既婚女性にとって、それは自分の意思に反することだったのだ。
「アラ・カチュー」と似た風習は中央アジアの他の国にもあるが、キルギスタンにおいて最も顕著だという。
キルギスタンの男は、ちゃんと交際した上で結婚するより「アラ・カチュー」の方が簡単で安上がりだと言う。正規の手続きを踏んで結婚するとなると、新婦の親に10万円弱の結納金と、ウシ1頭を納める必要がある。

略奪婚とその方法


「アラ・カチュー」により、男の家に女性が拉致されてくると、男の両親や兄弟がまず女性をなだめにかかる。そして、白いウェディング・ショールを女性の頭にかぶせる。
このショールは現地の言葉で「ジュールク」と呼ばれ、服従のシンボルである。多くの女性は、激しく抵抗するが、80パーセントの女性は最終的に態度を軟化させ、結婚を受け入れてしまう。
 誘拐した男性の一族は女性が去らないように閉じ込めたり、一族の女たちが悪態をついて脅す。
いったん、女性が一晩をその家で過ごしてしまうならば、運命はほとんど決まる。
女性の処女性は疑われ、名前は傷つき、どのみち将来において夫を見つけることは困難になる。
「あらゆる良い結婚は、涙で始まる」
この残忍ですらある奇習は、世間で広く認められている。


女性の親が反対したりはしないのかといえば、多くの場合、女性の両親も説得されてしまう。反対するどころか、そのままその家に嫁に行くように娘をせきたてることが多いという。なぜなら、娘が「汚れた女」の烙印を押されるのに堪えられないから。
だから、女性は十代になると、誘拐の驚異に頭を悩ましはじめることになる。女子大生のなかには既婚女性に見せかけるために、結婚指輪をしたりヘッドスカーフをしたりする人もいるという。
ただし、「アラ・カチュー」は法律で禁止されている。旧ソ連時代もそうだったし、独立後も1994年に改定されたキルギス共和国刑法でも「アラ・カチュー」は犯罪行為とされている。
しかし、誰も逮捕されない。野放しにされており、完全な有名無実である。

誘拐された花嫁


カナダの映画監督ピーター・ロム(Peter Lom)がつくった、2004年のドキュメンタリー「キルギス:誘拐された花嫁(Kyrgyzstan; The Kidnapped Bride)」には、誘拐婚を実行するキルギスの家族の姿が、映像におさめられている。(写真は映画から)
雌馬をさらう準備をするがごとく、にこやかに誘拐の方法を議論する老夫婦の姿。
誘拐予定の女の子をさがして、若い男があてもなく町をあてもなくさまようシーン。
映画はこの男性の後を追っていく。
彼らは予定していた女性が見つからないとき、偶然に会った女性をひっつかまえて来ることもあるという。


首都ビシュケクのAmerican Universityで社会学の教鞭をとるラッセル・クレインバック教授が“アラ・カチュー”の実態を調査して発表したことを受け、国中の有識者の間で論争が巻き起こっている。
だが、ほとんどの人は「アラ・カチュー」が違法であることを知らないのだとクレインバック教授は言う。
「アラ・カチュー」で女性をさらってくる男たちには、罪の意識がない。昔から続いてきた風習だし、おそらく、「アラ・カチュー」を実行する男の母も、「アラ・カチュー」で結婚させられた女性なのだ。
この風習は、キルギスタンイスラム教が布教される前の12世紀ごろから続いている。
かつて中央アジアで猛威を振るっていた蛮族が、馬や女性を略奪したことに起源があるとも言われている。必需品が不足してきたときに、定期的に馬と女性をライバルから盗んだということだ。

誘拐は続く


首都にあるビシュケクの大学の大学院生で、34歳のタラント・バクチエフ(Talant Bakchiev)は、わりと最近、兄弟のために花嫁誘拐を手伝ったという。
「男は、彼らが男であることを示すために、女を盗むんです」
金歯の目立つ歯を光らせて、彼はほほえんだ。


首都から遠くない村キジル・ツツ(Kyzyl-Tuu)に住む、サマール・ベック(Samar Bek)は妻のギパラ(Gypara)を拉致によって手に入れた。妻は16年前は結婚を拒否した。
そのとき、ギパラは20歳で、ビシュケク大の女子大生だった。サマールは29歳で、家族から早く嫁を見つけろとプレッシャーを受けていた。
拉致されてきたとき、ギパラは頑強に何時間も抵抗した。
「結局、その家に残ったのは怖かったからです。彼が好きだったからではありません」
周囲で4人の子供たちが遊びまわるなかで、妻のギパラは言う。サマールは、自分の娘が誘拐されたとしても、自分は反対しないだろうという。
「男の思いが、娘のそれより強ければ、私は連れて行かれるままにします」


参照 : NY Times記事など