シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

アルヴィン・ストレイト ③

johnfante2008-04-11

ストレイト・ストーリー

ストレイト・ストーリー

路上


路上の旅は、故障だけでなく天候との戦いだった。
雨が吹きつけるのも構わず、アルヴィンは一路ウィスコンシンを目指して、芝刈り機を運転した。トレーラーには屋根がついていたが、それにグリーンのシートをかけて雨漏りがしないように工夫した。
そうして、なんとかウェストベンドから90マイルの、チャールズ・シティまで辿り着くことができた。
自宅からは110マイル。約半分の道のりだったが、もう既に7月中旬になっていた。


故障などのアクシンデントのために、所持金が底をついたため、次の社会保障の振込が入るまで、彼はキャンプ生活を余儀なくされた。
雨が降れば農場の小屋の下で雨宿りし、夜がくれば道路脇に芝刈り機を停めて、焚き火を起こして、好物のレバー・ソーセージを食べる。
ときにはキャンプ場に紛れ込み、旅先で出会った人の家に止まることもあった。
旅先では誰もが「変わった乗り物だね」と言った。
「何なら車で送っていこうか」と提案されることもあったが、アルヴィンは「在り難いが、自力で会いに行くと決めたんだ。最初の志を貫きたい」と丁重に断るのだった。


兄との再会


8月15日。アルヴィンは兄ヘンリーが住むブルー・リバーまで、あと2マイルのところまで来た。旅路に出てから、もう6週間が経とうとしていた。
ところが、彼の芝刈り機がまたもや故障してしまったのだ。
近くを通りかかった1人のファーマーが、芝刈り機とトレーラーを押すのを手伝ってくれた。そうして、2人で芝刈り機とトレーラーを押しながら辿り着いたのが、ヘンリーの家だった。


兄のヘンリー・ストレイトは、弟のアルヴィンが向かっていることを知らなかった。
アルヴィンはヘンリーが脳卒中で動けないのではないか、と心配していた。杖をついたアルヴィンが家の外から「ヘンリー」と大声で呼ぶと、「アルヴィンか」と声が返ってきた。
歩行補助器でよたよたと出てきたのは、紛れもなく兄のヘンリーだった。2人は黙したまま、ポーチのある椅子に腰かけた。
そのとき、荒れ果てた草地のなかに止められた芝刈り機とトレーラーの姿が、ヘンリーの目に止まった。
「お前は俺に会うために、あれに乗ってここまで来たのか」
「ああ」
ヘンリーの目は涙でかすんだ。アルヴィンの目も赤くなっていた。
それ以上、不必要な謝罪や和解の言葉はいらなかった。兄弟の間に起きた過去の諍いは水に流されたのであった。


その後


ヘンリーは「わしには、彼と芝刈り機を行かせることしかできなかった」と言っている。
アルヴィンは、およそ1ヵ月の後、帰途につくと言った。ヘンリーが援助の申し出をしたのにもかかわらず、頑固なアルヴィンは芝刈り機で帰りの旅をすると言い張った。
そして、兄は懸命に止めたが、アルヴィンは単身で芝刈り機に乗り、娘の待つアイオワの家へと帰っていった。


そして、アルヴィンと兄ヘンリーの再会のニュースは、1994年にNYタイムスの記事で紹介された。
アルヴィンは自分が注目されるような人間ではないと考えて、「レイトショー」や「トゥナイト」といった有名テレビ番組への出演を断った。
1996年、「芝刈り機に乗った男」は、心臓の病気で亡くなった。アイダ・グローヴ墓地で行われた彼の葬儀では、彼が旅に使った芝刈り機も参列したという。
1999年、NYタイムスに掲載された記事を元に、「ストレイト・ストーリー」としてこの旅は米国で映画化された。現在では「最も有名なアイオワ州の人間」の1人として、アルヴィン・ストレイトはアイオワの人々の心のなかに刻み込まれている。