シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

シュガーランドの陰謀 ③

johnfante2009-03-02

Murder by Family: The Incredible True Story of a Son's Treachery and a Father's Forgiveness

Murder by Family: The Incredible True Story of a Son's Treachery and a Father's Forgiveness


妻と次男を殺され、長男と共に傷を負った夫ケヴィン・ウィッテカーの著書。

裁判の行方


事件から3年を経て、ようやく裁判がはじまった。検察官は、犯行現場分析、法医学的証拠、目撃者を公表した。 しかし、決め手となったのは共犯者のスティーヴンの証言であった。
事件の2ヶ月前、クリスとスティーヴンはウィッテカー家を殺すのを助けほしいと、なんとバート本人に依頼され、100万ドルの保険証書を三等分に切り裂いたものを手渡されたという。


段取りは、家族が帰ってきたとき、クリスが家のなかで待っていて、撃ち殺すというものだった。
また、警察の目をごまかすために、バート自身の肩を撃つことになっていた。
ティーヴンが車で待っていると、クリスが戻ってきた。
「どうなったか」と聞くと、全員撃ったとクリスは答えたという。父親が生存したのだけが、計画外の出来事だった。


長男の起訴と赦し


テキサス州ベンド郡の検察の手で、兄のバートが、母と弟殺しの罪で起訴された。
バートの動機はなんであったのか? 検察は家族の預金口座や生命保険の記録を公表した。
バートは両親が殺されることによって、150万ドルにおよぶ保険金を相続するところだったのだ。
弟のケヴィンを殺したのは、保険金を二等分したくないからだった。
バートは他の人より自分の頭がいいと思っており、完全犯罪をバレずにできるかやってみたかったのだ。



検察官は複数の殺人なので、バートに死刑を求刑した。
バートの弁護士は、独特の戦略に打ってでた。
彼はバートが有罪であるとほとんど認めて、バートの命が助からなければならない、死刑だけは避けなくてはならない、と陪審員に信じさせるようにするために、裁判を使おうとした。それには、父ケントという揺ぎ無い証人の居力が必要だった。
そして、信じがたいことに父親は息子を許すことに決めたのだ。


衝撃の真相


検察官の手によって、もっと衝撃的な事実が明るみに出た。2003年の陰謀は最初のものではなく、バートは過去に少なくとも3回は家族を殺そうと企てていたのだ。
2000年12月に、バートは大学のルームメイト2人、ピータースとアンソニーに計画殺人の話しを持ちかけていた。
2人はウィッテカー家までいったが、警報機が鳴ったために失敗に終わった。
殺人を手伝おうとした青年たちは、経済的に困ることのない裕福な家庭の出身だった。
2001年4月に、バートは大学の友人のジェニファーに保険金殺人の計画を話した。怖くなったジェニファーは、バートの両親にその話を暴露した。
しかし、バートが「それは誤解だ」と両親に話し、両親も彼のことを信じたのだった。


判決


バートの裁判は7日間続き、陪審員は2時間熟慮した上で、殺人罪で有罪だとした。
バートは自分自身で法廷に立ち、「後悔している」「家族だから、自分自身で手を下すことはできなかった」と情状酌量を訴えて、何とか死刑を免れようとした。
父親のケントもこれに手を貸すことになった。父親は涙ながらに、息子を許していること、死んだ母親も息子の死刑を望まないことを訴えた。
しかし、10時間の討議の末、陪審は求刑通り「死刑」の判決を下した。これには、バートが同じことを繰りかえす可能性がある、との判断が含まれていた。


直接トリガーを引いたクリス・ブラッシャーは殺人の罪を認め、30年の懲役刑で仮釈放の資格を得た。
逃走用のドライバー、スティーヴン・シャンペーンは、バートへの不利な証拠と引きかえに、15年の禁固刑で済んだ。
その他のウィッテカー家に対する初期の陰謀に関係する友人全員は、自由の身となった。



警察とバートが現場検証した時のビデオ映像(逮捕前)
http://www.cbsnews.com/stories/2007/10/18/48hours/main3381002.shtml


裁判で検事に詰め寄られるバートのやりとり
http://www.cbsnews.com/stories/2007/10/18/48hours/main3381002.shtml