シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

Photographers’ Gallery Press

johnfante2008-06-21

photographers'gallery press no.6

photographers'gallery press no.6


上は6号、右は最新号

詳しい情報やご購入はこちら
http://www.pg-web.net/scb/shop/shop.cgi?No=206


Photographers' Gallery


『Photographers' Gallery Press』の最新号(7号)を献本して頂きました。
写真史家ジェフリー・バッチェンの特集が圧巻。


豊島重之氏(精神科医、演出家)の「地峡論」による本格的な論考、「写真は密航する」を興味深く読む。
豊島氏とは、初めて新宿のPhotographers’Galleryでお会いし、その後、故・佐藤真監督の『エドワード・サイード OUT OF PLACE』の試写会(中野ZEROホール)でお会いして以来である。


ソクーロフの『ロベール 幸せの人生』


燃えあがる映画小屋


しかし、私が本当の意味で、最初に豊島氏に出会ったのは「燃えあがる映画小屋」(吉増剛造著)のなかの話者としてであった。
このアテネ・フランセ文化センターで行われた対談のなかで、豊島氏はおもしろい指摘をしている。
ソクーロフのビデオ作品の音に敏感に反応して、日本語の音(オン)とフランス語のソン、そしてベケットの『いざ最悪の方へ』に出てくる「on」を引き合いに出す。


そうしておきながら、文字の文化と声の文化の乖離のように、映画においても「音と映像は、本来、別々の生き物」と考えられるのではないか、という。
そこから導かれるのは、写真に音をつけることが危険ではないか、という認識である。
なぜなら写真に「口をつける」行為は、《その写真がはらんでいる音を封じてしまいかねないから》というのだ。


ベケットの『フィルム』



サミュエル・ベケットの唯一の映画『フィルム』が、まさにそのような企図のもとにつくられた映画だった。
映画の冒頭で2人の男女が他者からの知覚を恐れるバスター・キートンを見送り、女性が口の前に指を立ててシーッという動作をする。
完全なサイレント映画なのでサウンドトラックはないのだが、このブレヒト的な異化効果によって、観客は「これはサイレント映画なのだ」と念を押される。


母親の部屋らしき場所に逃げ込んだキートンは、オウム、犬と猫、壁にかかったシュメール人の神の絵など、あらゆる他者からの目を封じていく。
そうしてあらゆる他者からの知覚、そして自分のあらゆる記憶を葬ったにもかかわらず、最後には自分を追い続けてきた自身の知覚(カメラ)に気づく、といった筋である。
このベケット的な部屋がすばらしいのは、サイレント映画が視覚に訴える音のサインによって、この部屋が目で見えることのできる「音のざわめき」に満たされているからだ。
蛇足だが、ベケットが『フィルム』をサイレントでつくったのは、映像がはらんでいる音を封じこめないためであったのだろう。


吉増剛造―黄金の象』


吉増剛造―黄金の象


吉増剛造―黄金の象』に寄せた論考「繃帯のオペラ」で、豊島氏は吉増剛造の詩に関して、こんなこともいっていた。
《フィルムには皮膜のみならず「薄い・曇った・濁った・掠れた」という意味合いがあって、しかも韓国語でフリム(小さい‘ム’)とも訳される。(…)詩篇「不揃いの、フリム、光が」は、ベケット唯一の映画『フィルム』のリール音から演算された「無言の口の瞳」や「木馬、〝ОО〟二つ」に飛び火する》


さらに豊島氏は、吉増氏の詩集『The Other Voice』を評しながら、「無言の口とは視ずにケス/キエルことであり、口の瞳とは聴かずにカグ/カゲルことである」と。
ふつうに考えれば、意図的な諸感覚の混同のようにも聞こえる。
だが、豊島氏の批評の射程においては、この混同なくしてはベケット的な消尽する空間はありえない。
また、このように出発しなくては、『フィルム』に見られるような「視覚のなかの音」に感応することはできないのだ。


地峡論


『Photographers' Gallery Press』所収の論考「写真は密航する」において、ベンヤミンによって豊島氏が導かれるのは、音や声の文化としてのイスムス(Isthmus ギリシャ語で地峡のこと。海峡の逆で、二つの陸をつなぎ、水域にはさまれて細長い形状をした陸地)としか呼びようのない地平である。


豊島氏が寺山修司永山則夫、そして足立正夫が撮った『略称 連続射殺魔』をあげながら思い出すのは、70年代に松田政男がいった風景映画という言葉である。
足立正夫が永山則夫の足跡をたどりながら撮影した『略称 連続射殺魔』は、たしかに動画ではあるけれども、限りなく静止画や写真の積み重ねに近い映画であった。


永山則夫は網走に生まれ、青森県板柳町に実家を持ち、外国船に何度も密航をくりかえした。
豊島氏がこの映画から立ち上げるのは、番外地としての北海道と東北であり、日本最大の産廃処理場である下北地峡というトポスである。
アイヌ語で「ムツ」とは、身に帯びる、装備した者を意味するという。
王権から武士(ムツ)として蔑まれた土地を、笹岡啓子の写真を論じながら、新たなる地峡的な文化圏として奪還する後半がとてもスリリングである。