シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

TOKYO JOE マフィアを売った男 ②

johnfante2008-12-01


モンタナ・ジョーこと衛藤健が、「TOKYO JOE」のあだ名をつけられた元になった1949年の映画。
ハンフリー・ボガード、早川雪州出演、スチュワート・ヘイスラー監督。


マフィアの世界へ

 

1949年の年末。
ニューヨークでイタリアンマフィアのとある秘密賭博パーティが催されることになっていた。
賭博パーティは珍しくは無かったが、この集いは、シカゴやニューヨークのマフィアの大幹部達も招待した、盛大なものであった。
そしてこの幹事は、パトリアルカという、ニューイングランド地方を治めるマフィアのボスであった。
だが、彼の表情は暗かった…というのも、肝心のディーラーが、開催日の数日前に暗殺されてしまったからである。


賭博は、莫大な利益を生み出す。かける方は、イカサマが行われていることは、半分承知である。
ディーラーが場を仕切るのだが、バレなければ誰も何も言わないし、鉄砲も出てこない。
だから勿論、かける方もイカサマを見抜こうと目を凝らす。
だが、ディーラーの腕が良ければ、見抜かれない。全てはディーラーにかかっているのだ。


一世一代の勝負


暗殺されたディーラーは、パトリアルカの懐刀とも言うべき男だった。だからといって、全てをキャンセルすることもできない。
弱りに弱ったところへ出てきたのが、ジョーの存在だった。パトリアルカの部下が、当時ニューヨークで売り出し中のジョーこと衛藤健の起用を進言した。
だが、1つ問題があった。彼が日系人と言うことだった。純血を守るイタリアンマフィアの社会に東洋人が踏み入れるのは、許されないことだった。



『TOKYO JOE/マフィアを売った男』予告編


しかし、パトリアルカには、他に選択の余地がなかった。「パーティが終わったら、殺す」少しでもマフィア社会を知った者を、生かしておくわけにはいかなかった。
ジョーはこの誘いを「チャンス」と悟った。しかしエディは「危険すぎる」と制止した。エディの判断は、正しかった。だが、言い出したら聞かないジョーに、エディも渋々ついて行くことになった。
パトリアルカの兵士達が厳重な警戒を敷く中、入念なボディーチェックを受け、中へ通された。「果たして帰れるのか」エディは震えを押さえるのが精一杯だったが、ジョーはそんなエディにお構いなしに、テーブルの前に立った。


賭博パーティ


普段、チンピラ相手にカモっているジョーだが、その日は違っていた。目の前には蒼々たるビッグ・ボス連ばかりなのだ。
しかし多分それ以上に、場違いな東洋人を目の当たりにした、ボス達の緊張が大きかったに違いない。
だが、ジョーは堂々としていた。カードを配るその手つきと堂々とした姿、それは、周囲の意表を完全についた。
「Let's play, gentlemen!」
数時間もの間、場を滞らせることなく、ジョーのさばきは続いた。ディーラーに必要なのは、総合力である。
華麗なカードやダイス捌きのみならず、時には気の利いたジョークを飛ばしては客を和まし、勝たせ、負けさせ、時間の経つのも忘れさせ、ついでに負けた金のことも忘れさせるようなエンターテイナーとしての素質がないとダメなのだ。
そしてジョーには、それが完璧に備わっていた。



お祭り騒ぎが終わる頃、満面の笑みのパトリアルカにはもう、ジョーらを殺すことなどすっかり頭になかった。
彼は、ジョーを自分の配下に置くことに決めていたのだ。
日系人がイタリアンマフィアのパーティでディーラーを務めることすらそもそもあり得ないのに、マフィアの世界に登用されるのは完全に異例の出来事だった。
賭博の腕だけでない、そのクソ度胸も含め、それ以上のものを持った男・ジョーこと、ケン・エトー


モンタナ・ファミリー

 

当時、マフィアの収入源は、多岐に渡っていた。
ホテル業、ジュークボックス販売、プロレスやボクシングといったエンターテイメントやギャンブル、売春、闇金融などであったが、最も重視されていたのは、賭博であった。
ディーラーの腕次第では一夜に数千万ドルもの収入が得られたという。
もちろん、売春や麻薬も大きな収入ではあったが、警察の目が厳しく、また既にそれらを牛耳るファミリーの存在もあって、新規参入は難しいという、ハイリスク・ハイリターンな業種であった。
賭博は、ローリスク・ハイリターンのため、ボス達は腕のいいディーラーを血眼で探していた。


1950年、イリノイ州シカゴ。パトリアルカの部下として、ジョーらはこの街へとやってきた。
ジョーらはここで、「モンタナ・ファミリー」を結成した。エディ上原ら、古株の仲間6人と共に「モンタナ7人衆」を結成、これは全て東洋人ばかりの、イタリア人が一人もいない異色のファミリーであった。
ジョーはこの地に根を張る事を決心した。組織を結成したら、経営を考えねばならない。彼は収入源としてやはり、賭博を選んだ。ローリスクであり、なわばり拡大も容易かったからである。
大戦後、シカゴには日系人も多くなだれ込んでいた。当然日系人が経営する賭場も多かったのだが、それらを難なく傘下に置いていったのである。



TOKYO JOE ~マフィアを売った男~

TOKYO JOE ~マフィアを売った男~