シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

「哀しき父」 葛西善蔵 ②

johnfante2009-08-08

ユーモア性


「哀しき父」の四節で、彼は熱のために下宿に閉じこもるが、この部分では「哀しき父」という小説のドキュメンタリー性がよく発揮されている。
おとなしい学生たち、安淫売が出入りしていた予備士官が梅毒で死ぬところ、隣室の病気がちな細君の咳の音など。


また私小説においては、作者が自己を客観的になるまで厳しく見つめることが常道だが、それが極限まで進められるとそこはかとないユーモアが漂いだす。
崖上の墓地から大きな藪蚊が襲ってくるせいで、下宿の主人が死に、自室の前の住人も病気になったのではないか、と想像するあたりである。
若き詩人が見る夢もユーモラスである。
貧乏生活にもかかわらず、子供が二、三人増えていて、子供がムクムクと肥え太って、威張った姿勢で部屋のなかを歩いているというのだ。


哀しき父



母親から子供の洋服を送るようにと、催促があるくだりはあまりに哀しい。
正月に子供へ足袋やマントや絵本を送ったところ、「お父さんから」といって子供が近所の人達に見せびらかし、父からの手紙を持ち歩いているという件がある。
故郷へ帰ろうかと思うとき、彼は子供のことを「大きな黴菌のように彼の心に食い入ろうと」すると酷いことを書き、「自分の道を求めて、追うて、やがて斃るるべき」彼は、結局、子供が「直接の父を要しないだろう」と退けてしまう。


「彼の死から沢山の真実を学び得るであろう」と達観しているところが凄まじい。
いわば小説家・葛西善蔵の決意表明である。
葛西の文学は、あらゆる世俗的な道徳や価値を退けるところから始まっており、「哀しき父」で示されたものが葛西の文学的な生涯における主要なテーマとなっていくのである。