シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

華城連続殺人事件 〜殺人の追憶〜 ②

johnfante2006-08-21

華城(ファソン)事件は終わっていない~担当刑事が綴る「殺人の追憶」~

華城(ファソン)事件は終わっていない~担当刑事が綴る「殺人の追憶」~

刑事ハ・スンギョン


 華城で4回目の事件が発生し、河昇均(ハ・スンギョン)刑事は捜査チーム長として合流した。他にも腕利きの3名のベテラン刑事を擁する、13名のチームだった。捜査は出だしから難関の連続だった。現場には犯人を推定できる手がかりがまったくなかった。そこで被害者の身近なところから、聞き込み捜査をはじめた。そして10日後、とても有力な情報を一つ手に入れた。


 4回目のイ・ゲソンさんの事件が発生する15日前の、1986年11月30日の夜9時ごろだった。自宅から40メートルのところにある教会に行くために、田圃道を歩いていたキムさん(当時45歳)は、背後から黒い物体に襲われた。
 犯人はキムさんの首に片腕を巻きつけ、腰に刃物のような凶器を当てて、近くの田の畦に連れていった。抵抗はできなかった。あたりは闇に覆われ、助けてくれるような人は見当たらなかった。
 犯人はキムさんの靴下を脱がせ、両手を後ろ手に縛ったあと、ガードルとパンティを脱がせた。パンティを彼女の口のなかに押し込んだのち、ガードルで彼女の顔を覆った。犯人はそうやって性の犯罪である強姦をした。
キムさんはガードルの隙間から何度も犯人の顔を見ようとしたが、暗闇でもあり、はっきり確認できなかった。


 そのあと、犯人はズボンをはきながら「このクソアマ、殺される前にさっさと持ち金を出せ」と言った。
 キムさんは口の中のパンティのせいでしゃべれず、犯人はそれを取り出し、腰に凶器を当てながら「少しでも叫んだら、その場で殺すからな」と言った。
「あなたにここまで連れてこられるとき、道ばたにバッグを落としちゃったんです」とキムさんが言うと、犯人は悪態をつきながら、バッグを探しに闇の中に消えた。
 キムさんは体をよじりながら立ち上がり、気づくと必死に走っていた。徐々に灯りが近づいてきた。町にさしかかると急激に脚の力が抜けてよろめいた。
 思わず後ろを振り向いた。闇は恐怖を感じさせた。そのとき初めて「助けて」と大声を出した。町中の犬が吠え出し、住民がひとりふたりと出てきた。


ハ・スンギョン刑事たちはキムさんの証言から、犯人の人相を推理した。まず単独犯で、顔はやや細長。髪は短く、軍人のようにも見えた。年齢は25歳から27歳くらい。身長は160〜170センチ。
捜査チームは活気づいた。正南邑一帯を捜索し、人相と年齢が近い容疑者を捜しまわり、近くの空軍部隊からは兵士の名簿と写真を確保した。しかし、これだけの努力にもかかわらず、犯人の検挙には失敗した。

 

5人目、6人目の犠牲者


 女子高校の2年に在学中だったホン・ジンヒさん(当時18歳=韓国では数え年で数える)は、1987年1月10日の夜8時15分ごろ、水原市長安門の近くで別れ、台安村黄鶏里にある家に帰宅するため、ひとりでバスに乗った。
 8時35分ごろにバス停で下車し、踏切を渡ったあと狭い田圃道を歩いていたところを犯人と出くわしたと推測される。
 翌日、畑に積み上げておいた稲束のなかから、遺体となって発見された。ハ・スンギョン刑事らが駆けつけ、現場を確保し、遺体を検死に出した。死因はマフラーによる絞殺で、膣液からB型の精子が見つかり、血液も検出された。
 犯人は800メートルの家までの帰路を待ち伏せして襲った。叫ばせないために口に靴下を詰め込み、レイプしている。その後、被害者に服を着させたところで、マフラーで絞殺したと考えられる。


 ホン・ジンヒさんの事件の発生で、華城連続殺人事件は1週間近くテレビや新聞などで報じられた。華城署の所長が、捜査本部長として犯人を検挙できなかった責任を取り、交替される事態まで起きた。捜査員の数も48名から63名に増やされた。警察の無能さを非難する記事と報道が、連日紙面とブラウン管を埋め尽くした。
 華城連続殺人事件は、たった4ヶ月の間に5件も発生した。しかも、最初の犠牲者のイ・ワニさんの遺体が発見された地点から、半径7キロ以内の範囲ですべて発生していた。捜査にかかわっていた刑事たちは、華城の住民に顔向けできないほどの罪悪感にかられた。しかし、捜査のためには住民に会わなければならない。こんな状況だと、刑事は誰一人も疲れたと愚痴を言ったり、捜査に手を抜くことはできなかった。
 ハ・スンギョン刑事らは再び犯人像を分析した。
 まず、被害者が抵抗した痕跡がないということと、被害者たちの職業や暮らしている町がすべて異なっていた点が特異に思えた。不特定多数を相手に行われた犯行である可能性が高い。
 また、現場付近には街灯がないため、犯人は物体の識別できないほどの暗闇で犯行を行っていたが、被害者を必ず殺害していた。これは被害者に顔を覚えられることを恐れているわけではなく、恐怖のなかで死に、命乞いする被害者を見て喜悦を感じているに違いない。被害者を殺したあと、すぐ次の犯行を夢見る悪魔だった。


 1987年5月2日、主婦のパク・ウンスクさん(29歳)が6人目の犠牲者となった。
 ひどい雨の日であったが、夜10時半ごろ、必ずバス停まで迎えにくる妻が来ていないのを夫のイさんは変に思った。妻は朝まで帰ってこなかった。
 7日目の朝、夫のイさんは警察に失踪届けを出し、刑事たちは松の枝の束の下にパク・ウンスクさんの遺体を見つけた。現場には24.5センチのスニーカーの足跡が残されていた。
 この事件は韓国全土を不安と恐怖の渦に陥れた。
 捜査本部は犯人の検挙に総力を注ぐ一方で、大々的な人員を投入し、予防活動を本格的に開始した。当時、周辺地域の人口は約2万人だった。これには近くにある軍隊1ヶ所と大学が含まれている。2万人の人が犯人と共に日常を過ごしていた。捜査本部はその中に犯人がいるはずだと信じ、片っ端から容疑者を洗い出した。
 喫茶店のウェイトレスの「あの男が怪しい」という証言により、ホン・ギョンロク(当時40歳)という一人暮らしの工員が浮かび上がり、刑事たちの執拗な責めを受けて犯人だと自供したが、それは後ほど嘘の供述だとわかった。
 捜査チームは住民の田植えを手伝いながら聞き込み捜査を続けたが、手がかりは得られなかった。


 ③へ続く