シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

フリーダム・ライターズ ②

johnfante2007-07-11

フリーダム・ライターズ

フリーダム・ライターズ



右写真は実際のエリン

日記帳が教材


授業を開始して2、3ヵ月が過ぎたとき、ラティーノのティコがシャラウドの大きな唇を戯画化して描いた漫画をクラス中で回し読みしていた。
それを見たエリンは激怒し、それこそがナチスホロコーストの間、ユダヤ人を差別するために使った戦術であるとクラスに話した。
「以前、こんな絵を博物館で見たことがあるわ。ナチスは黒人とユダヤ人は、先天的に下等だといったのよ。人間ではなく動物に近い存在だとね」


しかし、生徒の誰もが、ホロコーストが何であるかについて知らなかった。
アンネの日記」のことも知らなかった。しかし、銃で撃たれた人を見たことがあるか訊ねると、ほとんど全員の生徒が手を挙げた。銃で狙われた経験はあるというのに…。
教育の大切さを改めて実感したエリンは、教材として「アンネの日記」を読ませようとするが、初老の女性であるキャンベル教科長に予算の無駄だと拒絶された。
「あの子たちに知的興味を持たせるなんて無理よ」


エリンは授業のカリキュラムを変えて、ただ単に英語の文法や読解を教えるのではなく、生徒が興味を持つようなテーマ性を持たせることにした。
それを「寛容性」と定めた。彼女は生徒を「シンドラーのリスト」を見るために映画館へ連れて行き、ポケットマネーで「あるもの」を購入した。
次の授業で203教室に配られたのは、日記帳だった。
「今思うこと、未来のこと、過去のこと。何でもいいから毎日書いて。そして読んでほしいときは棚に入れて」
彼女は、お互いを知ろうともせず憎しみあうだけの生徒たち全員に、自費でノートを買い与え、自分たちの本当の気持ちを書くように諭した。最初は馬鹿にして生徒たちは抵抗していた。


Teach with Your Heart: Lessons I Learned from the Freedom Writers


自分と向き合う


最初に日記を書いてきたのは、おとなしいラティーノブランディーだった。徐々に生徒たちは日記帳に本音を綴るようになった。
「16歳で葬儀屋より多くの死体を見た」
「難民キャンプで父は人が変わった。母や私を傷つけるようになった」
「俺のダチはストリートの兵隊だ」
「銃を突きつけられると体が震える
生々しい言葉の数々がつづられた。兄が服役中で、母からも見放されている黒人のマーカス。
カンボジア移民のシンディ。
学校でも騒ぎになったコンビニ銃撃事件では、エヴァが目撃者となり同じ黒人の生徒グラントが逮捕された。服役中の父親の言いつけで、エヴァは仲間をかばっていた。
「重荷は全部私が背負わなくてはならないの?」
エヴァは日記のなかで悲鳴を上げていた。
貧困層ティーンエイジャーたちは、誰もが出口のない日々を送っていた。
彼らの言葉に心揺さぶられたエリンは「本を買ってあげたい」思い、学校の授業の後にデパートでパートを始め、さらに週末はホテルでも働き始めた。


想いを綴ることは自分と向き合うこと。
次第に、荒れ果てていた教室にも変化が生まれていった。
ギャング抗争に明け暮れていた彼らは、お互いを知り、次第に理解をするようになっていた。
エリンは生徒たちのことを「フリーダム・ライターズ」と呼んで励ました。
公民権運動のときに、バスに乗ってアメリカ南部をまわった勇気のある人々(フリーダム・ライド)を模してのことだった。
数週間後、ついにエリンはパートで貯めたお金で、生徒全員をホロコースト博物館へと連れて行けるようになった。
父のスティーブも渋々ながらだが、黒人ゲットーまで生徒を迎えに行き、運転手の役を務めてくれた。
そして博物館の見学の後に、ホテルのレストランで食事をしながら、ホロコーストの生存者たちに対面し、生徒たちは彼らの話しを聞いた。
生徒たちは生への、そして知への欲求を高めていった。黒人のマーカスは敬意をこめて、エリンのことをギャングスタ風に「ミスG」と呼びはじめた。
「彼ら(生存者)のことを忘れない。すべてミスG(エリンのこと)のおかげだ」


アンネの日記


教育実習の1年が過ぎた。
エリンは2年目から正式な先生となって、高校へ戻ってきた。
彼女の秋学期(新学年)は、カリフォルニア州において不法滞在外国人排斥法(Proposition 187)成立の可否をめぐった、大変な時期におけるスタートとなった。
しかし、エリンは生徒たちに日記を続けさせた。「ロミオとジュリエット」をギャングスタの抗争になぞらえて語ることで、生徒たちの心をひきつけた。
また、生徒たちが共感できるように、戦争下にティーンエイジャーが書いた本を読ませた。
サラエヴォの紛争で書かれた「ズラタの日記」や二次大戦の「アンネの日記」などである。今度ばかりは、生徒たちも強い共感を持ったようだった。


それまで本など読んだことのなかったエヴァも、エリンに会うたびにアンネがどうなるのか聞きたがった。
しかし、エリンは絶対に本の続きを教えなかった。
エヴァは「アンネの日記」を読み終えたとき、アンネが死んでしまったので泣いて抗議した。それだけ自分自身の境遇と重ね合わせていたのだ。
また、日記を書くことは生徒の多くにとって慰めになった。
生徒たちは個人や家庭の問題とともに社会的疎外、人種差別に基づく苦しみについて書きつづった。書くことは、授業のなかでもっともカタルシスをもたらす経験となった。
一度、ペンの力を覚えると、何も止めるものはなかった。
生徒たちを信頼して自主管理をさせ、日記を匿名で共有させたので、かつて人種の異なる人間とは話すこともなかったティーンエイジャーが家族のようにまとまっていた。