シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

ウィルヘルム・ライヒと映画 ②

johnfante2007-12-06


上は関係者へのインタビューを収録した、Digne Meller-Marcovitz監督によるライヒの人生に関するドキュメンタリー

映画『W.R:オルガニズムの神秘』


三七年の論文でライヒは、神経症により顔が驚くほど「無表情」になってしまった女性患者の症例を報告している。
観察者ライヒが患者の身体運動に注目したところ、目と額が死んでいる一方で、口と顎が怒っていることが明らかになった。無意識であった口と顎について対話で注意をむけさせると、患者はライヒに噛みつこうとした。
それは彼女に、性欲に溺れる危険性をたたきこんだ父親に感じていた衝動でもあった。噛みつき衝動を表現してしまうと、口と顎が柔和になり身体に植物的な流れが感覚された。性的興奮に関する抑制も減退された。


ライヒ派の典型的な治療法は、映画『W.R:オルガニズムの神秘』に映像で記録されている。
それによれば、呼吸障害を訴える神経症患者は、ブロックされていた感情を表現してしまうとなめらかな呼吸に入る。半裸の患者をあお向けに寝かせ、さらなる深い呼吸を手の接触によりうながすと、緊張により鎧化していた腹部が弛緩し、続いて嗚咽や叫びが発生する。
成功すれば骨盤部を中心に快い流れが感じられ、からだ全体がひとりでに自由に痙攣する。これが「オーガズム反射」だ。激しい感覚とともに頂点に達するこの痙攣は、神経症下のぎくしゃくとした動きとは対照的に、患者を柔らかい自然な動きの世界へと導きいれる。



ライヒ神経症


この生理的な反応は、精神病理の治癒とどのように結びついているのか。
ライヒによれば感情を抑制する鎧をもつ現代人は、多かれ少なかれ神経症を病んでいる。神経症者の不安の原因は、無意識下に性エネルギーが抑圧されているからで、それを意識にのぼらせ解放し、オーガズム能力を獲得することが治療の目的となる。


このオーガズム能力の有無で、ライヒは「性器性格」と「神経症性格」を区別した。
神経症性格者は幼児的な衝動と願望の鎧に支配されていて、その未熟な恋愛感情は不安に満ち、対象になるのは自分の母親や姉妹を代表する女性である。自分の無能さを意識しているため、社会的業績によってそれを補填しようと固執する。
対照的に、健全な性器性格者も鎧をもっているが、その鎧は柔軟でさまざまな状況に順応する。その気まじめさは自然でなにかを補償するために凝り固まったりしない。なぜならどんな犠牲を払ってでも、自分を大人に見せかけようとなど思いもしないからだ。
この分析は、ライヒが自分自身を研究したことに多分に負っていて、理想主義的な楽観さをまぬがれていない。


とはいえ、以上の事柄から、ライヒが意図的に社会的な混乱をねらった輩などでは到底なく、自己探究のプロセスにおいてさまざまな事実を発見をしてきたことがわかる。
ブラジャーとショーツだけの女性患者、全裸でキスするカップルのバイオ電気実験など、ライヒは攻撃相手(精神分析協会、各国政府、無知な人々)にたいしてあまりに無防備であった。だがそれは、ライヒが人々に言われてきたように、フリーセックス論者でコミュニストであったからではない。


閉ざされた治療室で自分の神経症を克服しようと研究すること、自己の性の意味を解明しようと努力すること、そのこと自体がすでに旧弊な道徳感情を根底から揺るがすテロティシズムの行為であったのだ。
その後、自分を迫害した愚民を救済するため、分析対象を患者個人から大衆へ、さらには社会全体へと広げていったとき、ライヒは本当の意味で性器性格者へと変貌していったのだ。