シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

潜水服は蝶の夢を見る ①

johnfante2008-01-25

潜水服は蝶の夢を見る

潜水服は蝶の夢を見る


プロローグ


フランス人のジャン=ドミニック・ボービーは、世界的なファッション雑誌「ELLE」(20数ヶ国語で各国版が出る人気雑誌)の編集長として、パリで活躍していた。ジャンは行動的でダンディーな魅力あふれる男性だった。
流行の服を自在に着こなし、スポーツカーに乗っていた。いつもジョークを飛ばし、彼の周囲には笑いが絶えなかった。かのパリ・コレクションも、彼が最前列の特等席に着くと、同時にショーが始まるといった具合。


だが、1995年の12月8日。43歳のある金曜日に、突然、脳出血で倒れた。
ジャンは10歳の息子のテオフィルを乗せて、BMWで郊外の家に向かった。運転中、ジャンの目はかすみ、意識が集中できなくなった。交差点で車を道に寄せ、ふらつきながら外へ出た。
テオフィルの顔が見えた。次の瞬間、ジャンは救急車で運ばれていた。そうして昏睡状態に陥り、およそ20日間生死の間をさまよった。
その後、生の世界に戻ってきたが、その体は完全に麻痺してしまっていた。動くことはもちろん、唾を飲み込むことも、自力で呼吸することもできない。話すことも声を出すこともできなくなった。



潜水服は蝶の夢を見る』予告編

左まぶただけが残った


以前であれば「重篤脳卒中」と呼ばれ、そのまま死に至る病気だった。ところが医療技術の発達で、ジャンは死は免れた。それと引き換えにLIS(ロックトイン・シンドローム)という状態に陥った。
頭のてっぺんからつま先まで、全身が麻痺。けれど、意識や知能はまったく元のまま。
だが、左のまぶただけは例外で、容態を見守っていた友人たちは「僕らのことがわかったら、まばたきをして」と声をかけた。ジャンは左だけでまばたきをした。
肉体的なダメージにもかかわらず、意識も知力も完璧に元のままだった。聴覚には障害が残ったが、視覚は鮮明に残された。


20日間昏睡状態が続き、その後2、3週間、ジャンの意識は朦朧としたままだった。96年の1月終わり、北フランスのベルク海軍病院の119号室にいる自分を発見した。
毎日が同じことの繰り返し。午前7時に礼拝堂の鐘で目覚め、痛む両手の関節を数ミリ動かそうと努力する。それで痛みはやわらいでくるようだった。
自分という名の、潜水服の内側に閉じ込められたようなものだが、痛みがやわらげば、ジャンの心は蝶々のようにひらりと舞い上がるのだった。口からひっきりなしにあふれ出る唾液を飲み込むことができれば、ジャンは最高に幸せなのだった。


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特別なアルファベット


午前8時30分。理学療法士のブリジットがやってきて、関節のリハビリが始まる。ジャンは20週で30キロの体重を失った。ブリジットは手足が震えてこないか聞いてくる。それが回復の兆しなのだ。
顔のマッサージのおかげで、口をゆがめるような笑いができるようになった。ジャンには44歳にもなって、赤ん坊のように体を洗われ、拭かれ、服にくるまれることがおかしくて溜まらなかった。


やがてジャンは、まばたきを使って、新しいコミュニケーション方法を身につけた。一度のまばたきなら「はい」、二度なら「いいえ」。さらに言語療法士のサンドリーヌが、ある日、ジャン専用の特別なアルファベットを作ってくれた。
「E、S、A、R、I、N、T、U、L、O…」。
自分から何か言いたいときは、相手に、この使用頻度順に並べかえられたアルファベットを読み上げてもらい、表したい文字のところでまばたきをして、それをくり返すことで単語を組み立てるのだ。
ジャンはサンドリーヌを守護天使と呼ぶことにした。


見舞いの友人たちもこれを習おうと努力したが、実際に使いこなせるのはサンドリーヌと心理学者のクロードだけ。
これでドアを閉めてくれ、テレビの音を小さくしてくれ、枕を少し上げてくれ、と頼めるようになった。その原始的な方法で、後にジャンは本を書くことになる。
まばたきを20万回以上くり返して。